エジプト旅行(2004年3月20日〜29日)

初めに

 1月中旬から2004年のエジプト旅行のまとめを書き始めていた。1週間前から、エジプト情勢が怪しくなり、今30年続いたムバラク政権は崩壊の危機にある。考古学博物館のミイラも2体壊されたと聞く。間の悪いタイミングだが、2004年当時の記録として公開します。

デジカメではない写真がスキャンすれば取り込めることがやっとわかり(無知の涙です)、以前の旅行記録を残しておこうと考えた。数年前の記憶を思い出しながらまとめたので、思い違いもあるかもしれない(細かい記録をとっていたと思うが見つからない。ただし交通費、入場料は記録あり)。24日のカイロと25日のアブシンベル神殿の写真がフィルムの不備によりなし。

行程

3月20日(土)  関西空港(エジプト航空直行便13:55発−21:00頃カイロ着) ピラミッズ・パークH泊
  21日(日) ピラッミッド観光      ピラミッズ・パークH泊     
  22日(月) カイロからバハレイヤ・オアシスへ キャンプ
  23日(火) オアシス観光 ホット・スプリングH泊
  24日(水) バハレイヤ・オアシスからカイロへ フェルナン・シェファードH泊
  25日(木) カイロ4:00発−アスワン5:15着,5:45発−アブシンベル6:25,9:15発−アスワン10:00着 アスワン・オベロイH泊
  26日(金) アスワン10:50発−ルクソール11:30着 ニューウインターパレスH泊
  27日(土) ルクソール16:35発−カイロ17:35着 マリオットH泊
  28日(日) カイロ17:35発
  29日(月) 関空11:55着

出発まで

 一度はピラミッド見学に行きたいと思い、三男の春休みに個人旅行として計画を始めた。どこに行くか、移動手段はどうするかなどを検討していくうちにバックパッカーではない個人旅行者にとって(期間が2週間以下、中高級ホテルに宿泊、語学は苦手、でもできるだけリーズナブルに効率よく旅行したいという我儘な人)エジプトは結構ハードルが高いことがわかってきた。理由は、航空機のキャンセルや時間の変更が多いこと。定番のカイロ、アスワン、アブシンベルルクソールへ行く場合、移動は航空機が早いのだが、この国内線の予約が取りにくくまた時間変更も多い。ただ3月は旅行者が多いため航空機がバス感覚で増便するらしく結果的には乗れるようだが、予約が取れていないのに行ってしまえば現地で時間もとられるしホテルの予約にも影響する。その点ツアーは、飛行機、車、列車、あるいはクルーズまで組み込んで8日間〜10日間で見どころを周る行程を作っている。値段も手ごろである。何より不都合があれば添乗員や会社のせいにできる。しかし、連れて行かれてる感は免れないし土産物屋で時間を取られたり、自分の行きたいところで長居できないのも嫌だ。結局、バハレイヤオアシスに行って2泊したいということでパックツアーは消え、インターネットで見つけたミスルトラベルというエジプト国営の旅行会社に、航空券(国内外)、バハレイヤオアシス、一部のホテルの手配を依頼し、各飛行場からの移動は自分たちで行うことにした。依頼の時点では国内線の予約は取れていなかったが、やり取りのときの対応と国内線手配を確約してくれたのが決め手になった。ホテルは足の便がよい中高級ホテルの中からあたったがガイドブックを頼りに予算を考えながら選ぶのは不安だった。選べるだけに迷ってしまうのだ。しかしこれも個人旅行の醍醐味。当たればうれしいし、だめだったら次に活かそうとあきらめる。ただし3月は欧州の観光客が避寒のため大量に訪れる時期で、カイロのギザ地区のホテルは混雑していて、希望したメナハウスオベロイは取れず、どんどんはずれに押し出されてピラミッズパークHになってしまった。バハレイアオアシスはメインの一つなので旅行疲れする前にと航空機移動の前に組んだ。ガイドブックを読むと、買い物やらくだ乗りなどにいわゆるぼったくりが横行しているようだったので、各施設の入場料以外にタクシー移動などの目安金額を表にして持参した。 

3月20日(土)

 夫と息子と3人で出発。エジプト航空はアルコールが出ないため、搭乗口近くでビールを飲んでいる人が目に付いた。持ち込みは可。ガイドブック他を読みながら到着。ヨーロッパかららしき観光客が続々到着。非常に混雑している。ビザは空港で取得ということで、並んでいたらミスルトラベルの迎えの人が中に入ってきて代わりに取ってくれた。どうしてエジプト人が入国審査を受ける前の場所に入れるのか不思議。しかし早く済んで助かった。専用車で移動。私には夜10時は遅い時間だが、車はいっぱい走っている。ミナレットが見える。イスラムの国だ。ナイル川にかかる橋を渡ってカイロの街を過ぎると、暗闇に突然ピラミッドが見えてきた。こんなところにと思うほど街に近い。が、ピラミッドからどんどん離れてようやくホテル着。広いプールの間を抜け、何棟かある2階建ての建物の一角に案内される。予想以上に寒い。シャワーを浴びて温まって寝ようと思ったが、ほとんどお湯が出ず水シャワー。よけいに寒くなってしまった。震えながら寝る。

3月21日(日)

 朝食を取り、今日の観光のためホテルの旅行案内を探すがあいていない。以前のインド旅行のときにタクシーをチャーターして成功したので、今回も行きたい場所を書き出し、客待ちをしていたドライバーと値段交渉。三大ピラミッド入場観光、サッカラ、メンフィス、ダフシュール、メイドゥームまで行くということで交渉成立。日本円で約7千円(入場料別)。1日の入場者人数制限のあるクフ王のピラミッドに入場するため、待合せ時間を決め、準備をして急いで出発。ピラミッドまでの道は欧州の団体旅行者のバスで大渋滞だった。頭を突っ込んだもん勝ち。車を降りて走り、何とかクフ王のピラミッドの入場券を手に入れる。ドライバーが入り口の人と知り合いだといい、後からゆっくりクフ王の中に入ることにして、ピラミッドを見下ろす丘まで行く。草木のない砂漠のような風景の中にピラミッドが浮かび上がる。
 先にメンカウラー王カフラー王のピラミッドの中を見学後、クフ王のピラミッドへ。

一つ一つの石が大きい。


天井が狭まっていくのがわかる。夫は低い天井に頭をぶつけ出血。軽かったが。スフィンクスまでぶらぶら歩く。遠足らしき子供たちが大勢いる。


昼食後やっぱりパピルスを買ってしまった。サッカラ、ダフシュールへ向かう。


下に見えるのは私たちのタクシー。


圧巻はメイドゥームのピラミッド。堂々とした姿。青空に映える。

15:30ごろ到着したので私たち以外には誰もいない。帰りは途中まで警察の護衛付きで川沿いの道を走る。川の周辺だけが緑だ。

車から眺めていると2階や3階を中途半端に作りかけの家が目に付く。お金ができたら、続きを作るのだとか。雨が少ないからできる話か。
ラムセス2世の立像(メンフィス)

夕暮れホテルに帰着。夕食はピラミッドが見えるオープンエアのレストランで。風が強く寒い。

3月22日(月)

 8時に迎えの車でバハレイヤオアシスへ。何とぴかぴかのベンツで。砂漠の中の一本道を進む。途中で貨物列車が通っているのに出くわす。他の車とすれ違うことはほとんどなく、追い越されることは全くなかった。

 時速100キロを超えるスピードで進んだので、11時にはホットスプリングホテルに到着。庭にガザニアなど鮮やかな花がきれいに咲くホテル。受付の壁には映画「イングリッシュペイシェント」に出てきた「泳ぐ人」の絵が描いてある。オーナーの奥様が日本人で、細やかな心遣いが感じられる。予想以上に早くついたそうで「さすがベンツ」とびっくりされる。おいしい魚のフライの昼食をいただき、トヨタランドクルーザーで出発。オーナーのペーターさんが案内してくださるとのこと。ミスルトラベルからどうしても日本語ガイドという依頼があったとのことで(そうしたつもりはなかったのだが)、最近はあまりガイドをしないオーナー自らのおでまし。これが大正解だった。東大経済学部に留学経験のあるドイツ人ペーターさんはさすがの博識でしかも話がおもしろい。運転手はベドウィンの青年。今はベドウィンの人たちもらくだではなくランドクルーザーが砂漠の足だそうだ。しかも最新の電子制御のは故障したときに簡単に直せないので古いほうがいいのだとか。
黒砂漠



途中のオアシスで

クリスタルマウンテン

白砂漠。見たことのない眺め。ただびっくり。


 しかし、そのうち大変なことがわかってきた。3日ほど前に別のホテルからのツアーで白砂漠に入った日本人カップルが行方不明だとのこと。ドライバーだけが徒歩で帰ってきて、今みんなで手分けして探しているのだとか。自分たちも探してもよいかとのこと、もちろんOK。ペーターさんは申し訳なさそうにしていたが、普段行かない奥の場所まで行き、起伏のある砂山を車で登ったり、車から降りると化石がころがっていたり、むしろ得がたい体験だった。人探しは途中であきらめ、満天の星を眺めながら夕食はチキンのバーベキュー。おかわりまでしてしまい満腹です。テントで寝るがそんなに寒くない。

3月23日(火)

 朝、薄暗い中起きだし、他に誰も見えない白砂漠を散歩する。


 もう少し、もう少しと思いながらどんどん遠くまで行ってしまう。静かで匂いがなく不思議な感じ。
遠くに見えるのは私たちのテント。

テント片付け中。

結局、朝方彼らは見つかったそうだ。私たちはオアシスを見学したり、ミイラ博物館を見学。ここは数年前ミイラ発見で話題になった場所だった。


ホテル裏の丘からオアシスを眺める。ホテルの立地条件はすばらしい。

ホテルの温泉が気持ちよく、疲れがとれる。

3月24日(水)

 夕食、朝食ともおいしく大満足でカイロへ戻る。カイロのホテルは映画「イングリッシュペイシェント」に出てきたナイル川沿いの老舗フェルナンシェファード。もっとも火事で焼けてしまい看板だけが残っているだけだが。
ホテルのそばの船着場から船に乗り、上流のカイロメーターまで行く。次はハンハリーリへ。みやげ物を冷やかし夫が国民服ガラペーヤを1枚買う。ミスルトラベルから連絡があり、飛行機の時間が変更。30分以上遅くなった。やはり時間変更は頻繁にある。

3月25日(木)

 朝食にサンドイッチを食べ、タクシーで国内線の空港へ。今日はまずアスワン経由でアブシンベルに行きアスワンに戻る。飛行機はフランス人やイタリア人で満員。うまく乗り継げるように時間が設定してあり、アブシンベルに着いたらバスで移動する。カイロと比べると南なだけあって日差しが強く暑い。さすがに像は大きく移動保存するのは大変な事業だったろう。往路も同じようにアスワンまで戻る。私たち以外は団体旅行のようで、空港前でバスの出迎えが待っているが、私たちはタクシーでホテルまで行く。感じがよかったので、明日の送りを依頼する。ホテルはナイル川を専用ボートで渡った中州のエレファンティネ島のオベロイ。昼食後ファルーカでナイル川をクルーズ。ここで大金を吹っかけられ、厳しいやり取りの結果負けさせる。事前準備が威力を発揮。

オールドカタラクトとニューカタラクトホテル。ナイル殺人事件の舞台になった。泊まりたかったけど。

西岸の岩窟墳墓群へも行く。そこでらくだに乗り修道院を経てまた、ファルーカでホテルまで戻る。初めてのらくだ。乗るとかなり高いのでヒヤヒヤしながら1時間ぐらい乗る。

 夕食前に東岸のスークを冷やかす。何も買わず。息子がベルトを買うかどうかもめていたが、これも大急ぎで逃げる。

3月26日(金)

 対岸に迎えの車が待っており一安心。アスワンダムを通り空港へ。


ルクソールでも個人客は2組のみ。早く来たタクシーに乗るが、どうも英語がほとんどわからないらしく、対応がよければ明日の観光をお願いしようと思っていたのに当てが外れる。今日のホテルはニューウインターパレス。アガサクリスティの映画の舞台になったウインターパレスの新館。ナイル川を見渡せる気持のいい部屋に通される。

西岸は明日行くとして、今日は東岸のカルナック神殿から。大勢の人が見物に訪れている。暑い。



川岸にはクルーズ船が3重、4重に停泊して人の多さがよけいにわかる。一度ホテルに戻りプールで泳ぐ。おなかの調子があまりよくない。夕方から歩いてミイラ博物館、ホテル横のカルナック神殿を見学。


夕食はヒルトンホテル近くのエジプト料理エルフセインで(ガイドブックで見つけた)。

3月27日(土)

 結局、ホテルのツーリストオフィスで観光タクシーを紹介してもらい、西岸の王家の谷などを回り、飛行場へ行くプランに決める(約7千円)。
ハトシェプスト女王葬祭殿。青い空、壮麗な建物。トラムから降りてまっすぐな道を進む。1997年11月テロ事件が起こり日本人を含む観光客が死亡した場所。狙われたら隠れる場所が全くない。

王家の谷

ラムセウム



メムノンの巨像
貴族の墓 ほとんど観光客はいない。


どこのお墓も壁画がきれいなのだが、撮影禁止だったり、うまく撮れなかったり。天井に何でヒトデと思ったら星!想像力が必要です。ぶどうなど当時の生活を思い起こさせるものも数々。

セティ1世葬祭殿 ここも私たちだけ。
ラムセス3世葬祭殿
ツタンカーメンの墓は見たけれど、もう少し王家の谷でゆっくりできたな。
夕方の便でカイロへ。ホテルへ到着するとここでまさかのトラブル。私たちの予約は到着時間が遅いのでキャンセルされたとのこと。どうもエジプトでは6時半ぐらいまでに到着しないとキャンセルされる決まりだとか。しかし、飛行機の時間に変更はないし、たかだか7時ぐらいである。旅行会社の連絡ミスと思われるので、あわてて交渉。フロントは部屋はOKと言ったものの駐車場に面したうるさい部屋に案内された。再度交渉。あなたたちはキャンセルされたのだからと文句を言われながら、今度は静かな部屋に案内された。部屋は空いているのだ。しかし今度は洗面所の栓が壊れている。おなかの調子がよくないこともあり結局夕食はホテルで。立派だが大きいホテルなので、個人客向きではない。疲れました。

3月28日(日)

 今日は歩いて考古学博物館へ。すごい人。とにかくツタンカーメンの場所へ。日本人ばかりだ。ここだけは見ておこうという気満々。期待を裏切らない豪華さ。金ぴかです。やはり先を争って殺到するだけのことはある。一見の価値あり。誰もが言うことだが、偉大な王ラムセス2世の副葬品が残っていたらどうだったろう。もっとすごかったのでは。とりあえず目玉は見たので、落ち着いて順番に見ていく。名もないミイラの入った棺が無造作に置かれている。日本にあったら大事にされているだろうが。ファラオのミイラはミイラ室で保管されガラス越しに対面。ラムセス2世などは173.3センチもあり、さすがに王様は栄養状態がいいのか体格がいい。ともかく嫌になるほど物があり、とても見きれない。
昼食後は、ホテル裏のあたりを見学。



飛行場へ。

旅行を終えて

 月並みだが百聞は一見にしかずという言葉がぴったりの場所。どんなにテレビや写真で紹介されていても、大きさ、そこの空気は現地に行ってこそ。特にバハレイヤオアシス、メイドゥームのピラミッド、郊外からの帰り道の景色、荷物をいっぱい背負ったロバ(ロバにはなりたくないと思った)、今でも思い出す。暑い中、もう少しゆっくり見られたのに、あせって駆けずり回った感のある王家の谷をはじめとするルクソール西岸の遺跡。次に行くことがあれば自転車で何日かかけてゆっくり回りたい。小学生の頃から本を読んで想像していた場所に現実に行ってみるとあっけないが、満足感は深い。現在のイスラムの建物にはほとんど行かなかったのがやや心残りだが。
 この時期、日本人のツアー客もちらほらいたが、どこも15人以下の少人数。大型バスを仕立てて何十人単位で動いているのは、イタリアやフランス人のそこそこ年配のツアー客。しかも飛行機の中ではうるさいよー。特にイタリア人。日本人は集団でしか旅行しないし、しかもその中で固まって他の人と交流しないって言われるけどヨーロッパの人たちだって同じように見えた。だって世界初のパック旅行を作ったのはイギリスのトーマスクック社だもんね。もちろん、自分が見たことだけが真実ではないが、実際に見ると、これって違うんじゃない?と思うこともしばしば。一つの現象だけを取り上げて日本人はこうだと誘導されるとどうもなあという気がする。旅の醍醐味は名所旧跡を巡ることももちろんだが、自分の先入観から解き離されることにもありと思うが、どんなものだろう。                       

ガイドブック以外に読んでいった本

吉村作治さんの本以外で

不思議の国エジプトへ行こうよ!

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歴史 上 (岩波文庫 青 405-1)

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カラー版 古代エジプト人の世界―壁画とヒエログリフを読む (岩波新書)

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エジプトのききめ。

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エジプトがすきだから。 単行本

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