エジプト旅行(2004年3月20日〜29日)

初めに

 1月中旬から2004年のエジプト旅行のまとめを書き始めていた。1週間前から、エジプト情勢が怪しくなり、今30年続いたムバラク政権は崩壊の危機にある。考古学博物館のミイラも2体壊されたと聞く。間の悪いタイミングだが、2004年当時の記録として公開します。

デジカメではない写真がスキャンすれば取り込めることがやっとわかり(無知の涙です)、以前の旅行記録を残しておこうと考えた。数年前の記憶を思い出しながらまとめたので、思い違いもあるかもしれない(細かい記録をとっていたと思うが見つからない。ただし交通費、入場料は記録あり)。24日のカイロと25日のアブシンベル神殿の写真がフィルムの不備によりなし。

行程

3月20日(土)  関西空港(エジプト航空直行便13:55発−21:00頃カイロ着) ピラミッズ・パークH泊
  21日(日) ピラッミッド観光      ピラミッズ・パークH泊     
  22日(月) カイロからバハレイヤ・オアシスへ キャンプ
  23日(火) オアシス観光 ホット・スプリングH泊
  24日(水) バハレイヤ・オアシスからカイロへ フェルナン・シェファードH泊
  25日(木) カイロ4:00発−アスワン5:15着,5:45発−アブシンベル6:25,9:15発−アスワン10:00着 アスワン・オベロイH泊
  26日(金) アスワン10:50発−ルクソール11:30着 ニューウインターパレスH泊
  27日(土) ルクソール16:35発−カイロ17:35着 マリオットH泊
  28日(日) カイロ17:35発
  29日(月) 関空11:55着

出発まで

 一度はピラミッド見学に行きたいと思い、三男の春休みに個人旅行として計画を始めた。どこに行くか、移動手段はどうするかなどを検討していくうちにバックパッカーではない個人旅行者にとって(期間が2週間以下、中高級ホテルに宿泊、語学は苦手、でもできるだけリーズナブルに効率よく旅行したいという我儘な人)エジプトは結構ハードルが高いことがわかってきた。理由は、航空機のキャンセルや時間の変更が多いこと。定番のカイロ、アスワン、アブシンベルルクソールへ行く場合、移動は航空機が早いのだが、この国内線の予約が取りにくくまた時間変更も多い。ただ3月は旅行者が多いため航空機がバス感覚で増便するらしく結果的には乗れるようだが、予約が取れていないのに行ってしまえば現地で時間もとられるしホテルの予約にも影響する。その点ツアーは、飛行機、車、列車、あるいはクルーズまで組み込んで8日間〜10日間で見どころを周る行程を作っている。値段も手ごろである。何より不都合があれば添乗員や会社のせいにできる。しかし、連れて行かれてる感は免れないし土産物屋で時間を取られたり、自分の行きたいところで長居できないのも嫌だ。結局、バハレイヤオアシスに行って2泊したいということでパックツアーは消え、インターネットで見つけたミスルトラベルというエジプト国営の旅行会社に、航空券(国内外)、バハレイヤオアシス、一部のホテルの手配を依頼し、各飛行場からの移動は自分たちで行うことにした。依頼の時点では国内線の予約は取れていなかったが、やり取りのときの対応と国内線手配を確約してくれたのが決め手になった。ホテルは足の便がよい中高級ホテルの中からあたったがガイドブックを頼りに予算を考えながら選ぶのは不安だった。選べるだけに迷ってしまうのだ。しかしこれも個人旅行の醍醐味。当たればうれしいし、だめだったら次に活かそうとあきらめる。ただし3月は欧州の観光客が避寒のため大量に訪れる時期で、カイロのギザ地区のホテルは混雑していて、希望したメナハウスオベロイは取れず、どんどんはずれに押し出されてピラミッズパークHになってしまった。バハレイアオアシスはメインの一つなので旅行疲れする前にと航空機移動の前に組んだ。ガイドブックを読むと、買い物やらくだ乗りなどにいわゆるぼったくりが横行しているようだったので、各施設の入場料以外にタクシー移動などの目安金額を表にして持参した。 

3月20日(土)

 夫と息子と3人で出発。エジプト航空はアルコールが出ないため、搭乗口近くでビールを飲んでいる人が目に付いた。持ち込みは可。ガイドブック他を読みながら到着。ヨーロッパかららしき観光客が続々到着。非常に混雑している。ビザは空港で取得ということで、並んでいたらミスルトラベルの迎えの人が中に入ってきて代わりに取ってくれた。どうしてエジプト人が入国審査を受ける前の場所に入れるのか不思議。しかし早く済んで助かった。専用車で移動。私には夜10時は遅い時間だが、車はいっぱい走っている。ミナレットが見える。イスラムの国だ。ナイル川にかかる橋を渡ってカイロの街を過ぎると、暗闇に突然ピラミッドが見えてきた。こんなところにと思うほど街に近い。が、ピラミッドからどんどん離れてようやくホテル着。広いプールの間を抜け、何棟かある2階建ての建物の一角に案内される。予想以上に寒い。シャワーを浴びて温まって寝ようと思ったが、ほとんどお湯が出ず水シャワー。よけいに寒くなってしまった。震えながら寝る。

3月21日(日)

 朝食を取り、今日の観光のためホテルの旅行案内を探すがあいていない。以前のインド旅行のときにタクシーをチャーターして成功したので、今回も行きたい場所を書き出し、客待ちをしていたドライバーと値段交渉。三大ピラミッド入場観光、サッカラ、メンフィス、ダフシュール、メイドゥームまで行くということで交渉成立。日本円で約7千円(入場料別)。1日の入場者人数制限のあるクフ王のピラミッドに入場するため、待合せ時間を決め、準備をして急いで出発。ピラミッドまでの道は欧州の団体旅行者のバスで大渋滞だった。頭を突っ込んだもん勝ち。車を降りて走り、何とかクフ王のピラミッドの入場券を手に入れる。ドライバーが入り口の人と知り合いだといい、後からゆっくりクフ王の中に入ることにして、ピラミッドを見下ろす丘まで行く。草木のない砂漠のような風景の中にピラミッドが浮かび上がる。
 先にメンカウラー王カフラー王のピラミッドの中を見学後、クフ王のピラミッドへ。

一つ一つの石が大きい。


天井が狭まっていくのがわかる。夫は低い天井に頭をぶつけ出血。軽かったが。スフィンクスまでぶらぶら歩く。遠足らしき子供たちが大勢いる。


昼食後やっぱりパピルスを買ってしまった。サッカラ、ダフシュールへ向かう。


下に見えるのは私たちのタクシー。


圧巻はメイドゥームのピラミッド。堂々とした姿。青空に映える。

15:30ごろ到着したので私たち以外には誰もいない。帰りは途中まで警察の護衛付きで川沿いの道を走る。川の周辺だけが緑だ。

車から眺めていると2階や3階を中途半端に作りかけの家が目に付く。お金ができたら、続きを作るのだとか。雨が少ないからできる話か。
ラムセス2世の立像(メンフィス)

夕暮れホテルに帰着。夕食はピラミッドが見えるオープンエアのレストランで。風が強く寒い。

3月22日(月)

 8時に迎えの車でバハレイヤオアシスへ。何とぴかぴかのベンツで。砂漠の中の一本道を進む。途中で貨物列車が通っているのに出くわす。他の車とすれ違うことはほとんどなく、追い越されることは全くなかった。

 時速100キロを超えるスピードで進んだので、11時にはホットスプリングホテルに到着。庭にガザニアなど鮮やかな花がきれいに咲くホテル。受付の壁には映画「イングリッシュペイシェント」に出てきた「泳ぐ人」の絵が描いてある。オーナーの奥様が日本人で、細やかな心遣いが感じられる。予想以上に早くついたそうで「さすがベンツ」とびっくりされる。おいしい魚のフライの昼食をいただき、トヨタランドクルーザーで出発。オーナーのペーターさんが案内してくださるとのこと。ミスルトラベルからどうしても日本語ガイドという依頼があったとのことで(そうしたつもりはなかったのだが)、最近はあまりガイドをしないオーナー自らのおでまし。これが大正解だった。東大経済学部に留学経験のあるドイツ人ペーターさんはさすがの博識でしかも話がおもしろい。運転手はベドウィンの青年。今はベドウィンの人たちもらくだではなくランドクルーザーが砂漠の足だそうだ。しかも最新の電子制御のは故障したときに簡単に直せないので古いほうがいいのだとか。
黒砂漠



途中のオアシスで

クリスタルマウンテン

白砂漠。見たことのない眺め。ただびっくり。


 しかし、そのうち大変なことがわかってきた。3日ほど前に別のホテルからのツアーで白砂漠に入った日本人カップルが行方不明だとのこと。ドライバーだけが徒歩で帰ってきて、今みんなで手分けして探しているのだとか。自分たちも探してもよいかとのこと、もちろんOK。ペーターさんは申し訳なさそうにしていたが、普段行かない奥の場所まで行き、起伏のある砂山を車で登ったり、車から降りると化石がころがっていたり、むしろ得がたい体験だった。人探しは途中であきらめ、満天の星を眺めながら夕食はチキンのバーベキュー。おかわりまでしてしまい満腹です。テントで寝るがそんなに寒くない。

3月23日(火)

 朝、薄暗い中起きだし、他に誰も見えない白砂漠を散歩する。


 もう少し、もう少しと思いながらどんどん遠くまで行ってしまう。静かで匂いがなく不思議な感じ。
遠くに見えるのは私たちのテント。

テント片付け中。

結局、朝方彼らは見つかったそうだ。私たちはオアシスを見学したり、ミイラ博物館を見学。ここは数年前ミイラ発見で話題になった場所だった。


ホテル裏の丘からオアシスを眺める。ホテルの立地条件はすばらしい。

ホテルの温泉が気持ちよく、疲れがとれる。

3月24日(水)

 夕食、朝食ともおいしく大満足でカイロへ戻る。カイロのホテルは映画「イングリッシュペイシェント」に出てきたナイル川沿いの老舗フェルナンシェファード。もっとも火事で焼けてしまい看板だけが残っているだけだが。
ホテルのそばの船着場から船に乗り、上流のカイロメーターまで行く。次はハンハリーリへ。みやげ物を冷やかし夫が国民服ガラペーヤを1枚買う。ミスルトラベルから連絡があり、飛行機の時間が変更。30分以上遅くなった。やはり時間変更は頻繁にある。

3月25日(木)

 朝食にサンドイッチを食べ、タクシーで国内線の空港へ。今日はまずアスワン経由でアブシンベルに行きアスワンに戻る。飛行機はフランス人やイタリア人で満員。うまく乗り継げるように時間が設定してあり、アブシンベルに着いたらバスで移動する。カイロと比べると南なだけあって日差しが強く暑い。さすがに像は大きく移動保存するのは大変な事業だったろう。往路も同じようにアスワンまで戻る。私たち以外は団体旅行のようで、空港前でバスの出迎えが待っているが、私たちはタクシーでホテルまで行く。感じがよかったので、明日の送りを依頼する。ホテルはナイル川を専用ボートで渡った中州のエレファンティネ島のオベロイ。昼食後ファルーカでナイル川をクルーズ。ここで大金を吹っかけられ、厳しいやり取りの結果負けさせる。事前準備が威力を発揮。

オールドカタラクトとニューカタラクトホテル。ナイル殺人事件の舞台になった。泊まりたかったけど。

西岸の岩窟墳墓群へも行く。そこでらくだに乗り修道院を経てまた、ファルーカでホテルまで戻る。初めてのらくだ。乗るとかなり高いのでヒヤヒヤしながら1時間ぐらい乗る。

 夕食前に東岸のスークを冷やかす。何も買わず。息子がベルトを買うかどうかもめていたが、これも大急ぎで逃げる。

3月26日(金)

 対岸に迎えの車が待っており一安心。アスワンダムを通り空港へ。


ルクソールでも個人客は2組のみ。早く来たタクシーに乗るが、どうも英語がほとんどわからないらしく、対応がよければ明日の観光をお願いしようと思っていたのに当てが外れる。今日のホテルはニューウインターパレス。アガサクリスティの映画の舞台になったウインターパレスの新館。ナイル川を見渡せる気持のいい部屋に通される。

西岸は明日行くとして、今日は東岸のカルナック神殿から。大勢の人が見物に訪れている。暑い。



川岸にはクルーズ船が3重、4重に停泊して人の多さがよけいにわかる。一度ホテルに戻りプールで泳ぐ。おなかの調子があまりよくない。夕方から歩いてミイラ博物館、ホテル横のカルナック神殿を見学。


夕食はヒルトンホテル近くのエジプト料理エルフセインで(ガイドブックで見つけた)。

3月27日(土)

 結局、ホテルのツーリストオフィスで観光タクシーを紹介してもらい、西岸の王家の谷などを回り、飛行場へ行くプランに決める(約7千円)。
ハトシェプスト女王葬祭殿。青い空、壮麗な建物。トラムから降りてまっすぐな道を進む。1997年11月テロ事件が起こり日本人を含む観光客が死亡した場所。狙われたら隠れる場所が全くない。

王家の谷

ラムセウム



メムノンの巨像
貴族の墓 ほとんど観光客はいない。


どこのお墓も壁画がきれいなのだが、撮影禁止だったり、うまく撮れなかったり。天井に何でヒトデと思ったら星!想像力が必要です。ぶどうなど当時の生活を思い起こさせるものも数々。

セティ1世葬祭殿 ここも私たちだけ。
ラムセス3世葬祭殿
ツタンカーメンの墓は見たけれど、もう少し王家の谷でゆっくりできたな。
夕方の便でカイロへ。ホテルへ到着するとここでまさかのトラブル。私たちの予約は到着時間が遅いのでキャンセルされたとのこと。どうもエジプトでは6時半ぐらいまでに到着しないとキャンセルされる決まりだとか。しかし、飛行機の時間に変更はないし、たかだか7時ぐらいである。旅行会社の連絡ミスと思われるので、あわてて交渉。フロントは部屋はOKと言ったものの駐車場に面したうるさい部屋に案内された。再度交渉。あなたたちはキャンセルされたのだからと文句を言われながら、今度は静かな部屋に案内された。部屋は空いているのだ。しかし今度は洗面所の栓が壊れている。おなかの調子がよくないこともあり結局夕食はホテルで。立派だが大きいホテルなので、個人客向きではない。疲れました。

3月28日(日)

 今日は歩いて考古学博物館へ。すごい人。とにかくツタンカーメンの場所へ。日本人ばかりだ。ここだけは見ておこうという気満々。期待を裏切らない豪華さ。金ぴかです。やはり先を争って殺到するだけのことはある。一見の価値あり。誰もが言うことだが、偉大な王ラムセス2世の副葬品が残っていたらどうだったろう。もっとすごかったのでは。とりあえず目玉は見たので、落ち着いて順番に見ていく。名もないミイラの入った棺が無造作に置かれている。日本にあったら大事にされているだろうが。ファラオのミイラはミイラ室で保管されガラス越しに対面。ラムセス2世などは173.3センチもあり、さすがに王様は栄養状態がいいのか体格がいい。ともかく嫌になるほど物があり、とても見きれない。
昼食後は、ホテル裏のあたりを見学。



飛行場へ。

旅行を終えて

 月並みだが百聞は一見にしかずという言葉がぴったりの場所。どんなにテレビや写真で紹介されていても、大きさ、そこの空気は現地に行ってこそ。特にバハレイヤオアシス、メイドゥームのピラミッド、郊外からの帰り道の景色、荷物をいっぱい背負ったロバ(ロバにはなりたくないと思った)、今でも思い出す。暑い中、もう少しゆっくり見られたのに、あせって駆けずり回った感のある王家の谷をはじめとするルクソール西岸の遺跡。次に行くことがあれば自転車で何日かかけてゆっくり回りたい。小学生の頃から本を読んで想像していた場所に現実に行ってみるとあっけないが、満足感は深い。現在のイスラムの建物にはほとんど行かなかったのがやや心残りだが。
 この時期、日本人のツアー客もちらほらいたが、どこも15人以下の少人数。大型バスを仕立てて何十人単位で動いているのは、イタリアやフランス人のそこそこ年配のツアー客。しかも飛行機の中ではうるさいよー。特にイタリア人。日本人は集団でしか旅行しないし、しかもその中で固まって他の人と交流しないって言われるけどヨーロッパの人たちだって同じように見えた。だって世界初のパック旅行を作ったのはイギリスのトーマスクック社だもんね。もちろん、自分が見たことだけが真実ではないが、実際に見ると、これって違うんじゃない?と思うこともしばしば。一つの現象だけを取り上げて日本人はこうだと誘導されるとどうもなあという気がする。旅の醍醐味は名所旧跡を巡ることももちろんだが、自分の先入観から解き離されることにもありと思うが、どんなものだろう。                       

ガイドブック以外に読んでいった本

吉村作治さんの本以外で

不思議の国エジプトへ行こうよ!

不思議の国エジプトへ行こうよ!

歴史 上 (岩波文庫 青 405-1)

歴史 上 (岩波文庫 青 405-1)

カラー版 古代エジプト人の世界―壁画とヒエログリフを読む (岩波新書)

カラー版 古代エジプト人の世界―壁画とヒエログリフを読む (岩波新書)

エジプトのききめ。

エジプトのききめ。

エジプトがすきだから。 単行本

エジプトがすきだから。 単行本

六甲山は大賑わい(2011年1月23日)

今日の六甲山はやたらに人が多い。天気がよくて風もなく暖かいこともあるが原因はこれ。
七曲の滝。ほぼ凍っています。実はここに来るのは初めて。分岐をいつも見逃していた。どこにあるんだろうと思っていたら、しっかり道がついていた。それなのに手前から沢に下りるとは。

似位滝。ツララもダイナミック

百間滝も。きれいよー。下をチョロチョロ水が流れてる。

しまった。人を撮っておくんだった。高年と子供が多い。高年は山靴にアイゼンと装備はばっちりだが足元が危なっかしく、子供は運動靴でキャーキャー言いながら身軽だ。ロープウエーの駐車場から10分ぐらい歩くと雪景色っていうのは、手軽で楽しい。息子たちが小さい頃、ここへ連れてくるんだったなあ。

モロッコ旅行(2007年4月4日(水)〜14日(土))

 ようやく、ほぼ4年前のモロッコ旅行をまとめることができた。4年の間に忘れてしまったこともあるが鮮明に覚えていることもある。毎日タジン攻めだったこと、買わなかった化石やネックレス、雄大アトラス山脈の景色。観光した建物などは、ごっちゃになってしまい記憶はあやふやだ。マラケシュやフェズの旧市街はよく歩いたのだが、写真がほとんどない。もっと撮っておけばよかった。特に地元の人、動物、食べ物など。

日程

 4月4日(水) 中部22:45発(エミレーツ航空)−
 4月5日(木) 4:45ドバイ7:35−11:55カサブランカ16:05(国内線)−16:45マラケシュ
       マラケシュ Riad km 3000(泊)
 4月6日(金) マラケシュ滞在
 4月7日(土) マラケシュ8:00発−未舗装道路経由−ワルザザード(メルキュールH泊)
 4月8日(日) ワルザザード−南部ザゴラ観光−ワルザザード(メルキュールH泊)
 4月9日(月) ワルザザード−トドラー谷−エルフードーリッサニーキャンプ地(テント泊)
 4月10日(火) キャンプ地−リッサニ−エルフード−イフレン−フェズ(Riad Fez 泊)
 4月11日(水) フェズ滞在 (Riad Fez 泊)
 4月12日(木) フェズ11:00発(列車で)−15:20カサブランカ着(ベストウエスタンHツブカル泊)
 4月13日(金) カサブランカ13:20発(エミレーツ航空)−
 4月14日(土) 1:10ドバイ2:45(エミレーツ航空)−17:40中部着−名古屋(新幹線)−新大阪−家

出発まで

 3人の子供たちが順に家を出て、4月から二人暮しになる記念に旅行を計画した。初めは友人が赴任しているタイ、まだ行ったことのないベトナムなどを考えたが、タイが友人の一時帰国で消え、ベトナム行きを計画中にHISでエミレーツ航空中部国際空港発着、新大阪−名古屋間の往復新幹線付き、ドバイ経由でどこへ行っても60000円(燃油サーチャージ別)という魅力的なチケットを聞いた。急遽目的地を探した結果、日本から直行便がない、ドバイでの乗り継ぎ時間が短い、ビザが不要、比較的安全な国ということでモロッコが浮上。もう2月末だったので3日ほどの短期間に必要な日程を決めHISに航空券を申し込んだ。その後国内線も日本から予約した。
 モロッコでの移動・手配は、インターネットで日本人女性がモロッコで経営している旅行会社に依頼して上記のような日程を決めた。ホテルは、マラケシュとフェズ、カサブランカはインターネットで手配し、ワルザザードとテントは旅行会社に依頼した。フェズ−カサブランカの列車は現地で自分たちで手配した。
 ホテルは、最初は航空券と同じくHISで予約してもらおうとしたのだが、満員のため、やむなくインターネットを利用した。満員の理由がイースター休暇のせいだと知ったのは後からだった。マラケシュのホテルも最初予約していたはずのRiadが直前にオーバーブッキングで慌てたが、代わりのRiadを紹介してもらった。Riadはモロッコの伝統的な家屋を利用した宿泊施設で民宿のようなものから豪華なものまで様々だ。調べている間にRiadの存在を知り、個人で行くのだからホテルよりもモロッコらしいところと思いできるだけ利用することにした。

4月4日(水) 自宅−新大阪−名古屋−中部22:45発(エミレーツ航空)−

 午後6:00頃自宅を出発、新幹線で新大阪から名古屋へ。乗り換え中部国際空港へ。新幹線に乗るのも久しぶりだったが、荷物を持っての名古屋から名鉄への移動が大変だった。中部国際空港は開港して2年余りと新しいのできれいだが、時間が遅いので店がどんどん閉まっていき、発着便も少ないのでがらんとした印象に。
 ようやく乗り込む。座席も広めでフットレストもあるきれいな飛行機。空いているので横になって寝ながら行けるので楽だ。食事はパンが多い印象。

4月5日(木) 4:45ドバイ7:35−11:55カサブランカ16:05(国内線)−16:45マラケシュ着 マラケシュ Riad km 3000(泊)

 そろそろかなと思っていると真っ暗ななかに、突然きらきらとした灯りが大量に見える。動いている灯りは車のだ。これが噂のドバイ。待ち時間に空港内のお店を見学。金のアクセサリーを売るお店がともかく金ぴか。定番のブランドショップもあるが、それよりインパクトが強かったのは、床のいたるところに寝ている人が多かったこと。スマートなショップと粗末なシャツを着たアジア、アフリカ系の人があちこちコロガッてる、その共存。みんな違和感はないのかしらん。
 まだ夜中、3時間ずっとお店を見ているのはきついので椅子を探すが空いていない。椅子が元々少ないのだ。ようやく端のほうに空いている椅子を見つけしばし休憩。乗り継ぎ1時間前になりカサブランカ行きの待合室に移動。日本人が数人いるようだが、後はどこのひとかわからない人たち。ようやくカサブランカ行きに乗り込む。カサブランカ行きは中部−ドバイ間より古い機体だった。しかも横移動なので7時間も乗る。ほぼ満席。。予想以上に長い気がする。やっと到着。下りるときにびっくり。ごみひとつなかった機体がめちゃくちゃ汚い。ブランケットは畳んであるものは皆無。座席にぐちゃぐちゃに置いてあるのはよいほうで、床に放りぱなし。あちこちに新聞や包んだ袋、食べ物の残骸のようなものも散らばっている。ビジネスクラスも例外ではなく、アイスクリームが床に落ちて融けていたり、直視したくない光景だ。今までこんなにひどいのは見たことがない。これって当たり前?帰りも同じなのか確かめなければ。
 表示がわかりにくいせいか国内線乗換え場所の確認に手間取る。乗り換え時間がたっぷりで幸いだった。場所が確認できると今度は時間つぶしにあちこち見学をする。国内線待合室はフランス人らしき人、しかも家族連れで満員。少子化なんのその、だいたい3人ぐらいの子供を連れている。よくチケットがとれたものだ、高かったけど。30分以上遅れて出発。マラケシュ到着。迎えのRiadの女主人と首尾よく落ち合い屋根も窓もないボロボロのオープンカーでRiadへ。珍しいらしく、私たちを見る観光客多数。広場に車を止めて、市場を横切り、土壁の間の狭い道を進む。まさに迷路。土壁のところどころに何の変哲もない扉。これは迎えがなかったら絶対にたどり着けなかっただろう。
 中は別世界で、小さな中庭があり2階の部屋に通される。

 質素だが経営者の思い入れのこもった雰囲気のある部屋。インテリアがおしゃれ。
 さて夕食。治安もそんなに悪くなさそうだし、Riadまでの目印を確認して私たちだけでも帰って来れると判断し歩いて食事に出かける。迷ったが結局イタリアンを食べることに。モロッコでピザはないだろうと思ったが、一番手っ取り早かったので。

4月6日(金) マラケシュ滞在 Riad ㎞ 3000(泊)

 朝方アザーンの声で目が覚め、イスラム圏であることを実感。朝食は屋上で、周りの景色を眺めながらいただく。パンとジャム・蜂蜜、卵、ジュース・コーヒーなど。豪華ではないが充分である。特に蜂蜜がおいしかった。
天気もよく体調も悪くない。昨夜食事をしたレストランの近くのモスクが見える。遠くにアトラス山脈
 今日はマラケシュの旧市街を自分たちで散策予定。ともかくあのジャマ・エル・フナ広場まで行ってみる。通りは金属製の鍋を売る店、絨毯屋、ランプ屋、香辛料やナッツ、干した果物を積み上げた店、衣類・かばん屋、スリッパや革製品の店などいわゆる昔の日本の商店街が枝分かれしながら延々続く。旅行初日なので買いたいものが自分自身でもはっきりわからないのが残念。もちろん相場も。
 最初に広場の南側の見学に向かう。アル・マンスール・モスク、サアード朝の墳墓群、王宮、エル・バディ宮殿を迷いながら回る。通り抜けられるかと思っていくと行き止まりだったり、道筋が1本違ったり。ガイドブックの地図がわかりにくく(夫は間違っていると言う)、地図を購入。モロッコでは異教徒はモスクは立ち入り禁止。外から様子をうかがっていても何だかとがめられそうな雰囲気。スカーフさえすれば中に入れてくれたエジプトとは大違いだ。歩いていると気軽に呼びかける感じはよく似ているのに。迷っている間に、日本料理の店「橘」を発見。しかしここで日本料理でもなかろうと、お昼は途中で目に付いたモロッコの伝統料理の店へ。

 中は広々として絨毯を敷き詰めた部屋はゴージャスだ。何を頼んでいいかわからなかったので、昼の定食のようなものを頼む。モロッコ風サラダと煮込みのようなもの。初モロッコ料理で珍しさも伴っておいしく食べたが、これからこれが定番になってしまうとは。このときはまだ何も知る由もなし。
 一休みして一息ついた後、またぐるぐるまわる。宿の北方向にあるベン・ユーセフモスクへも行こうといったん宿の方向に戻り、そこまではちゃんと戻れたので簡単に行けると思ったのだが、これが大間違い。予想以上に距離感が違っていて迷う。ようやくついて来いと案内してくれた子供の後をついていって到着。苦労した割りにモスクの様子は覚えていない。ここも中は異教徒立ち入り禁止。また、フナ広場へ取って返し、増えてきた屋台で食べるかどうか協議。ケバブを焼く煙がすごい。いいにおいがしているのだが、夫がおなかをこわすから屋台は絶対に嫌ということで、他の店を探す。目星をつけていた店には満員で断わられ、不穏な雰囲気の中、しかたなく途中で目に付いたフランス語のメニューを出している店に入ったら何とこれが大当たり。外からはうかがい知れぬほど中はおしゃれで洗練された雰囲気。フランス語だけのメニューはわからないながら適当に注文したが、ワインもおいしく料理もおしゃれで大満足だった。気分よく宿に帰り就寝。

4月7日(土) マラケシュ8:00発−未舗装道路経由−ワルザザード(メルキュールH泊)

 今日は、専用車でワルザザードまで行く。待合せの小さな広場でドライバーと車に落ち合う。おとなしくまじめそうなドライバーだ。実際まじめに詳しく説明してくれた。昨日たくさん迷った旧市街を抜け、アトラス越えだ。行きかう車は少なく快適なドライブ。山肌の褶曲がはっきりと見える。時々山裾に乾いた泥色の集落がぽつぽつ見える。

峠を越えて、私たちは旧道へ。時々ノマドと呼ばれる遊牧民の姿が遠くに見える。

テロウェットのカスバ到着。

 今は大きなこうのとりの巣が作られ、まさに栄華の跡。昼食は近くのレストラン。外で食べる。チキンのタジン。大きなじゃがいもがおいしい。途中で人がうじゃうじゃいると思ったら結婚式があるのだとか。残念ながら車の中からしか撮影できず。

 ここからは舗装をしていない道をワルザザードへ向かう。ドライバーは細かなハンドルさばきでゆっくり進む。新道ができてから観光客はほとんど通らない道のようだ。子供が懐に入れた生まれて数日の子羊を見せてくれる。かなりの傾斜を上り下りする。途中の広くなった道で休憩。近所の子が路上に店を開いている。アンモナイトや何でできているかわからない黒いネックレス。買えばよかった。もう二度とここへ来ることはないだろうに。

 蜂箱が置いてある草っぱらを過ぎると、アイトベンハッドウはすぐ。遠くからでもそれとわかる。駐車場から川を渡って小山のような場所へ。

 悪路を通るために緊張してこわばっていた体をほぐす。アラビアのロレンスのロケ地としても有名で日本人のツアー客に出会う。年配の人が多い。ここからワルザザードの街はすぐだ。今日の宿メルキュールへ。ホテルは4星というが部屋はやや狭い。眺めはいいのだが。夜はホテルのレストランでビュッフェ。広いプールがあるが寒いので泳げず残念。

4月8日(日) ワルザザード−南部ザゴラ観光−ワルザザード(メルキュールH泊)

 今日はワルザザードから南部のザゴラへ日帰り旅行。ホテルから川を渡ってすぐの原っぱがビニール袋などのゴミでいっぱいである。どうしてと思うほど。ここから道はよく、ドラア川沿いの眺めは雄大だ。

 途中いくつかカスバに寄ったり、オアシスの中を走ったりする。日差しがだんだんきつくなる。ザゴラ到着。暑い。かつてトンブクトゥとの貿易の中継地点だったところ。途中にトンブクトゥまで矢印のついた看板がある。

 突然こんもりとした砂山が出てくる。らくだ引きもいる。らくだを断わり砂山を歩いて登るが、このあたりは砂漠の中でも砂礫が中心で、砂は珍しいようだ。タムグルートの村を見学。図書館があるが今日は休み。壁で覆われた住まいは涼しいが、外は暑いので昼間うろうろする人はいないそうだ。小さな店で飾り皿2枚購入。
 昼食は町へ戻りホテル・カスバ・アスマのプール脇で。

 フランス人らしき子供が楽しそうに泳いでいる。このホテルで泊まっているようだ。フランス人にとってはなじみのリゾートのよう。昼食後は、同じ道をワルザザードへ戻る。
 途中休憩した場所で。このTシャツとズボン、懐かしいなあ。8月のキリマンジャロ行きの時のなくなった荷物の中に入れていたので、もうない。この時着ていたものは他にもかなりなくなってしまった。

 明日は同行者が4人増え総勢6人のグループになる。夕食はホテル近くのタウリルトのカスバの中のレストラン。ドライバーさんのお勧め。

4月9日(月) ワルザザード−トドラー谷−エルフードーリッサニーキャンプ地(テント泊)

 今日からは別のドライバー。ホテルで4人の旅行者とドライバーと合流。女性3人グループと男性1人で、女性たちは旅行会社勤務、男性は青年海外協力隊の2年の任期を終え帰国前の旅行中だ。みんな気持のいい若者で一安心。年配の私たちに気を遣ってくれる。車は新しくきれいだ。自己紹介などをしながら、カスバ街道を抜け、トドラー峡谷へ。
 途中のカスバ

 トドラー峡谷。壁を登っている人がいたのでびっくり。

 途中でバラの化粧水・クリームと絨毯購入。トドラー峡谷はきれいなのだが、すっかり観光地。ここを超えてマラケシュへ行くルートなどのほうがおもしろそうだ。お昼はモロッコパンとタジン。またタジンといいながらせっせと食べる。モロッコパンもいつのまにかちぎって食べてしまう。ここからはエルフードへ砂漠の中の道を向かう。途中で遊牧民のキャンプでお茶をいただく。

 リッサニを過ぎ、メルズーガへ。ようやく到着。ここで大きな荷物は車に預けらくだに乗って今日のキャンプ地まで行くのだ。早速、身支度。どうも風が強くちょっとした砂嵐のようだ。女性3人組はマスクやゴーグルなど準備万端。私もスカーフで覆面をする。ここのらくだはおとなしくエジプトに比べて乗り心地も悪くない。夕暮れ、ほとんど最後の出発。ゆっくり進む。砂嵐で前が見えず痛い。が、おもしろい。何で道がわかるのか不思議だったが、慣れた道なのか。らくだの糞がてんてんと落ちているし。一直線に連なって進む。暗くなってくる。まるで月の砂漠の歌のようだ、砂嵐がなければ。1時間ぐらいらくだの背に揺られてキャンプ到着。食事の場所と寝る場所は別だ。晩御飯はまた、タジン。チキンだ。ここで飼っている鶏をつぶしたやつだ。合理的。おいしいが同じ味だしなー、と言いながらやっぱりせっせと食べる。テントでお休み。明日は早起きして日の出を見るぞ。

4月10日(火) キャンプ地−リッサニ−エルフード−イフレン−フェズ(Riad Fez泊)

 夫と暗がりの中を起きて、向かいの砂山に登ることにする。途中までは楽々だったが、靴が砂にうずもれて歩きにくいことこの上なし。もう少しもう少しと言いながら進む。何人か同じような物好きがいる。ようやく座って日の出。

 肝心の日の出は、砂漠に上る真っ赤な太陽というわけにはいかなかった。まあ、現実はこんなものか。苦労した上りも下りは簡単。走って下りる。朝食はこれも定番のモロッコパンとチーズなど。もう食べるしかない。帰りは穏やかな晴天の中をゆっくりとらくだに揺られてホテルまで。


 ここで男性のI君はお別れ。マラケシュに引き返すのだ。私たちと女性3人組は砂漠のガイドさんと一緒にフェズへ。昼食は途中のレストランでワインなどを飲みながらチキン。車の中ではみんなすっかり疲れて爆睡。ガイドさんも爆睡。ようやくフェズ。ガイドさんが今日の宿まで付いていってくれる。ありがたい。何の変哲もないドアをノックして中に入ると別世界。すばらしい装飾の部屋。砂漠から来たので埃だらけの服がちょっと恥ずかしいぐらい。ゆっくりとミントティーをいただいた後部屋に案内される。部屋の料金表を見るとおそらく予約よりランクアップされた部屋のようだ。事前情報では大きくモダンと伝統的な部屋の2種類に分かれ、部屋ごとにコンセプトも違うとのこと。私たちのは伝統的なタイプ、ピンクが基調のかわいらしい部屋だ。

屋上から見た景色。洗濯物が干してあったり、パラボナアンテナが散見される。地震がきたら即アウトだよね。

 夕食をお願いするが、リクエストメニューは締め切っており簡単なメニューとのこと。夕食まで旧市街を散歩することにする。ここのスークもまたわかりにくいが、マラケシュのほうがもっと難しかった気がする。それとも慣れたせいか。
 フェズの旧市街のシンボル、カラウィン・モスク

 らくだの肉は食べる気がしませんでした。

 砂漠から来ると肌寒いくらいだ。これと言って買いたい物もないので、部屋に戻り夕食。レストランは内装もフェズブルーの食器もおしゃれで、夕食もおいしい。暖炉のそばで飲むモロッコのワインもなかなか。満足して就寝。

4月11日(水) フェズ滞在 (Riad Fez 泊)

 ビュッフェではない朝食。手作りヨーグルトがおいしい。大満足。今日はまず、明日の列車の切符を買いに新市街の駅まで。午後発のつもりだったが、明るいうちにカサブランカに着いたほうがということで午前発のカサブランカ行きに変更。首尾よく購入。それから旧市街に戻り、周囲を散歩するはずが、しっかり迷ってしまった。何とパトカーが止まってくれ、ジャメイ門まで連れて行ってくれた。せっかくだから近くのパレジャメイホテルへ。旧市街を見渡せる場所にありロケーション抜群。すばらしい眺めだ。

ここから、下へ降りていくと私たちの宿までいける筈だ。Riad近くのブー・ジュルード門

 何とか宿まで帰る。夕方、食事の前にもう一度スークを回っていると雨が降り出し散々な目に。寒い。こんなことなら、名物ハマームを予約すればよかった。夕食は、予約していた料理で、手が込んでいておいしい。早めに休む。

4月12日(木) フェズ11:00発(列車で)−15:20カサブランカ着(ベストウエスタンHツブカル泊)

 楽しみにしていた朝食後、タクシーで駅まで行く。メーター制なので乗りやすいのだ。昼食用の食べ物を探していると、歩いている人がサンドイッチ屋さんに連れて行ってくれる。フランスパンに好きな具を入れてもらうやつ。値段的には決して安くないが、おいしそう。
 ようやく列車に乗り込む。列車の指定席。向かい合わせの4人がけ。

 フランス人らしきおじさんに私たちの席が間違っていると言われたが、実際に間違っていたのは、そのおじさんだった。全く、自信たっぷりだったな。景色を見ながらカサブランカへ。もう旅行も終わりだ。カサブランカ駅で乗ったタクシーは違うホテルに連れて行った。はっきり予約してあると言ったのに、全く油断も隙もない。私たちのホテルは中級。やや古めだが部屋は広かった。向かいのホテルが高級なメリディアン。どうせなら、ここかシェラトンかハイアットにすればよかった。結局夕食はメリディアン、朝食はシェラトンで食べたのだから。本当は夕食は海の近くで食べたかったのだが、始まる時間が遅すぎて却下。いろいろ探したのだが適当なところが見つからず、結局メリディアンで食べたのだった。
 後ろはグラン・モスク。港の近く。

4月13日(金) カサブランカ13:20発(エミレーツ航空)−

 朝食は散歩がてら歩いてシェラトンで。高級ホテルだけあって豪華だが値段も高い。市場を見に行きたかったのだが結局行き着けず、ホテルに帰った。タクシーで空港へ。検査が厳しく時間が遅れている。途中で、運行側からクレームがでたらしく、フリーパス状態に。いったい何のための検査?待合室ではお祈りをする人もありやはりイスラムの国だ。帰りの飛行機の中の状態を見ておこうと心に決める。ようやくドバイ到着。機内はやっぱりすさまじい状態。これって何だろうね。

4月14日(土) 1:10ドバイ2:45(エミレーツ航空)−17:40中部着−名古屋(新幹線)−新大阪−

 名古屋行きの待合せ時間は短く、あまり買い物をする時間もなかった。深夜、機内に乗り込み寝てしまう。中部到着。名古屋から新幹線で我が家へ。
旅行終了。

旅行を終えて

 急に決めたモロッコ旅行。モロッコに対する予備知識があまりなくうまくいくかどうか心配だったが、現地の旅行会社の方のアレンジのおかげで楽しい旅行になった。事前のホテルが予約できていなかったことなどトラブルはあったが、出発時には解決していたし、おおむね順調だった。もっとも迎えの人と会うまで心配ではあったが。
 行程に関しても、前半は二人で、中盤に他の若い旅行者と一緒、後半はまた二人でと、これも変化があってよかった。宿泊は、モロッコ独特のリアドに宿泊できたことがよかった。特にフェズのリアドフェズは大正解。個人旅行で泊まるのならこんなところがいいなと思わせられるリアド。お勧めです。
 マラケシュやフェズの旧市街のスークはまだ生活の場でもあるようだが、やはり観光客中心、新市街はごく普通の都会の生活が行われている。ランプや雑貨を買うのならスークも面白いが、私にはセンスもなく実際に使うものとして買いたいものはあまりなかった。フェズブルーの食器も予想以上に高く、これなら日本にもっと質のいいものがあると思って買わなかった。旧市街は観光地として残っていくであろうけど。しかし買い物はともかく、扉一つで中と外の印象が激変する旧市街の家は、子供の頃からの疑問を解いてくれた気がする。子供のときに読んだ「アリババと40人の盗賊」。モルジアナが扉につけた盗賊の目印を不審に思って他所の家のドアにも同じ印をつけてわからなくしたこと、どうして印一つで家がわからなくなるか疑問だったが、この街を見ると腑に落ちた気がする。土壁が続いていて表から見えるのは扉だけなので、慣れない人間には、同じ目印をつけられると、どこの家かわからなくなってしまうのだ。
 砂漠のテント泊はお勧め。らくだも1時間以上乗るので満足できる。でも当たり前だが観光地。景色はすばらしい。

今振り返って

 当時はユーロ高、しかもイースター休暇とあってフランス人をはじめヨーロッパの人でいっぱいだった。やはりヨーロッパ特にフランスとは関係が深い。また、リアドの経営者もフランス人が多いらしい。フランス語は普通に通じる。映画「カサブランカ」を思い出させるものはなかったが。
 今も残っているモロッコの印象は、何といってもタジン。おいしいけれど飽きる、毎日すき焼きを食べられないのと同じで。最近流行っているタジン鍋、あまりにもタジン攻めだったのが印象に残りすぎで、やっぱり買う気がしません。しまうところにも困りそうだし。他にはイスラムの国だということ、モスク、ねずみ男みたいなジュラバ、ミントティー(これも飲みすぎると嫌になってくる)。  
 アトラス山脈越え、旧道の景色、砂漠、アトラス山脈を越えると風景が変わり、服装も変わる。景色は雄大。しかし、この旅行後からキリマンジャロに登ったり、海外の山に目を向けだしたので、自分の足で車のいけないところまで歩く面白さを知ってしまうと、今となっては少し物足らない。ツブカル山を登るためにモロッコは残しておくべきだったかとちょっと後悔している。今だったら、絶対にツブカルが登れる時期に登山とセットで計画しただろう。また印象も違っていたかもしれない。
 エジプト旅行以降、個人旅行者向けのホテルやその土地独特の宿泊施設に目が向くようになった。特にこのモロッコ旅行はリアドがよかったこともあり、それ以降の宿泊施設の選択に大きな影響があった。

読んでいった本

モロッコ流謫

モロッコ流謫

ハーレムの少女ファティマ―モロッコの古都フェズに生まれて

ハーレムの少女ファティマ―モロッコの古都フェズに生まれて

迷宮都市モロッコを歩く (AROUND THE WORLD LIBRARY―気球の本)

迷宮都市モロッコを歩く (AROUND THE WORLD LIBRARY―気球の本)

来て見てモロッコ

来て見てモロッコ

あけましておめでとう

1月7日、遅ればせながら、あけましておめでとう。
年末年始、家事に忙しく、ようやく今日から通常の毎日が始まりそうだ。いろいろな人と会うたびに、それはとても楽しいのだが一方で「あなたは何をしてきたのか」ときかれている気がして、無駄に年を重ねている自分が少々寂しい。実際には何も聞かれないのだが。今年は、まず1歩前に進むを目標に前向きに。
図書館から借りて、年明けに読んだ本。

遥かなる水の音

遥かなる水の音

全く内容を確かめず、村山由佳の本だから借りた。昨秋にNHKのインタビュー番組で小説家としての心意気が印象的だったので。
舞台はモロッコ。4年前に旅行した場所なのでイメージはつかみやすい。すらすらと読めるが内容的には直木賞受賞作「星々の舟」のほうが読み応えあり。なぜ登場人物がそう思うのかいまいち理解できない。紀行文として読んでみると、フェズ、マラケシュ、ワルザザード、メルズーガ砂漠等、それぞれの場所の説明は的確でわかりやすい。ただし、私のイメージとはやや違う感じ。例えば砂漠。確かに景色は雄大だが、私たちが行けた砂漠はどうしても観光地化された場所という印象だったので。この本を読んで、モロッコ旅行の記録をほったらかしにしていたことを思い出した。手始めに、モロッコ旅行の記録をまとめることにします。

今年最後の六甲山(12月23日、25日)

12月23日の天皇誕生日、25日のクリスマスと年末の掃除の合間に今年最後の六甲山へ行ってきた。23日は穏やかな晴れ、のち時雨。25日は雪の舞う寒い日だった。25日は滝が少し凍っていた。カメラを持っていったのに充電切れで、写真無し。これではいい写真は撮れないね。