モロッコ旅行(2007年4月4日(水)〜14日(土))

 ようやく、ほぼ4年前のモロッコ旅行をまとめることができた。4年の間に忘れてしまったこともあるが鮮明に覚えていることもある。毎日タジン攻めだったこと、買わなかった化石やネックレス、雄大アトラス山脈の景色。観光した建物などは、ごっちゃになってしまい記憶はあやふやだ。マラケシュやフェズの旧市街はよく歩いたのだが、写真がほとんどない。もっと撮っておけばよかった。特に地元の人、動物、食べ物など。

日程

 4月4日(水) 中部22:45発(エミレーツ航空)−
 4月5日(木) 4:45ドバイ7:35−11:55カサブランカ16:05(国内線)−16:45マラケシュ
       マラケシュ Riad km 3000(泊)
 4月6日(金) マラケシュ滞在
 4月7日(土) マラケシュ8:00発−未舗装道路経由−ワルザザード(メルキュールH泊)
 4月8日(日) ワルザザード−南部ザゴラ観光−ワルザザード(メルキュールH泊)
 4月9日(月) ワルザザード−トドラー谷−エルフードーリッサニーキャンプ地(テント泊)
 4月10日(火) キャンプ地−リッサニ−エルフード−イフレン−フェズ(Riad Fez 泊)
 4月11日(水) フェズ滞在 (Riad Fez 泊)
 4月12日(木) フェズ11:00発(列車で)−15:20カサブランカ着(ベストウエスタンHツブカル泊)
 4月13日(金) カサブランカ13:20発(エミレーツ航空)−
 4月14日(土) 1:10ドバイ2:45(エミレーツ航空)−17:40中部着−名古屋(新幹線)−新大阪−家

出発まで

 3人の子供たちが順に家を出て、4月から二人暮しになる記念に旅行を計画した。初めは友人が赴任しているタイ、まだ行ったことのないベトナムなどを考えたが、タイが友人の一時帰国で消え、ベトナム行きを計画中にHISでエミレーツ航空中部国際空港発着、新大阪−名古屋間の往復新幹線付き、ドバイ経由でどこへ行っても60000円(燃油サーチャージ別)という魅力的なチケットを聞いた。急遽目的地を探した結果、日本から直行便がない、ドバイでの乗り継ぎ時間が短い、ビザが不要、比較的安全な国ということでモロッコが浮上。もう2月末だったので3日ほどの短期間に必要な日程を決めHISに航空券を申し込んだ。その後国内線も日本から予約した。
 モロッコでの移動・手配は、インターネットで日本人女性がモロッコで経営している旅行会社に依頼して上記のような日程を決めた。ホテルは、マラケシュとフェズ、カサブランカはインターネットで手配し、ワルザザードとテントは旅行会社に依頼した。フェズ−カサブランカの列車は現地で自分たちで手配した。
 ホテルは、最初は航空券と同じくHISで予約してもらおうとしたのだが、満員のため、やむなくインターネットを利用した。満員の理由がイースター休暇のせいだと知ったのは後からだった。マラケシュのホテルも最初予約していたはずのRiadが直前にオーバーブッキングで慌てたが、代わりのRiadを紹介してもらった。Riadはモロッコの伝統的な家屋を利用した宿泊施設で民宿のようなものから豪華なものまで様々だ。調べている間にRiadの存在を知り、個人で行くのだからホテルよりもモロッコらしいところと思いできるだけ利用することにした。

4月4日(水) 自宅−新大阪−名古屋−中部22:45発(エミレーツ航空)−

 午後6:00頃自宅を出発、新幹線で新大阪から名古屋へ。乗り換え中部国際空港へ。新幹線に乗るのも久しぶりだったが、荷物を持っての名古屋から名鉄への移動が大変だった。中部国際空港は開港して2年余りと新しいのできれいだが、時間が遅いので店がどんどん閉まっていき、発着便も少ないのでがらんとした印象に。
 ようやく乗り込む。座席も広めでフットレストもあるきれいな飛行機。空いているので横になって寝ながら行けるので楽だ。食事はパンが多い印象。

4月5日(木) 4:45ドバイ7:35−11:55カサブランカ16:05(国内線)−16:45マラケシュ着 マラケシュ Riad km 3000(泊)

 そろそろかなと思っていると真っ暗ななかに、突然きらきらとした灯りが大量に見える。動いている灯りは車のだ。これが噂のドバイ。待ち時間に空港内のお店を見学。金のアクセサリーを売るお店がともかく金ぴか。定番のブランドショップもあるが、それよりインパクトが強かったのは、床のいたるところに寝ている人が多かったこと。スマートなショップと粗末なシャツを着たアジア、アフリカ系の人があちこちコロガッてる、その共存。みんな違和感はないのかしらん。
 まだ夜中、3時間ずっとお店を見ているのはきついので椅子を探すが空いていない。椅子が元々少ないのだ。ようやく端のほうに空いている椅子を見つけしばし休憩。乗り継ぎ1時間前になりカサブランカ行きの待合室に移動。日本人が数人いるようだが、後はどこのひとかわからない人たち。ようやくカサブランカ行きに乗り込む。カサブランカ行きは中部−ドバイ間より古い機体だった。しかも横移動なので7時間も乗る。ほぼ満席。。予想以上に長い気がする。やっと到着。下りるときにびっくり。ごみひとつなかった機体がめちゃくちゃ汚い。ブランケットは畳んであるものは皆無。座席にぐちゃぐちゃに置いてあるのはよいほうで、床に放りぱなし。あちこちに新聞や包んだ袋、食べ物の残骸のようなものも散らばっている。ビジネスクラスも例外ではなく、アイスクリームが床に落ちて融けていたり、直視したくない光景だ。今までこんなにひどいのは見たことがない。これって当たり前?帰りも同じなのか確かめなければ。
 表示がわかりにくいせいか国内線乗換え場所の確認に手間取る。乗り換え時間がたっぷりで幸いだった。場所が確認できると今度は時間つぶしにあちこち見学をする。国内線待合室はフランス人らしき人、しかも家族連れで満員。少子化なんのその、だいたい3人ぐらいの子供を連れている。よくチケットがとれたものだ、高かったけど。30分以上遅れて出発。マラケシュ到着。迎えのRiadの女主人と首尾よく落ち合い屋根も窓もないボロボロのオープンカーでRiadへ。珍しいらしく、私たちを見る観光客多数。広場に車を止めて、市場を横切り、土壁の間の狭い道を進む。まさに迷路。土壁のところどころに何の変哲もない扉。これは迎えがなかったら絶対にたどり着けなかっただろう。
 中は別世界で、小さな中庭があり2階の部屋に通される。

 質素だが経営者の思い入れのこもった雰囲気のある部屋。インテリアがおしゃれ。
 さて夕食。治安もそんなに悪くなさそうだし、Riadまでの目印を確認して私たちだけでも帰って来れると判断し歩いて食事に出かける。迷ったが結局イタリアンを食べることに。モロッコでピザはないだろうと思ったが、一番手っ取り早かったので。

4月6日(金) マラケシュ滞在 Riad ㎞ 3000(泊)

 朝方アザーンの声で目が覚め、イスラム圏であることを実感。朝食は屋上で、周りの景色を眺めながらいただく。パンとジャム・蜂蜜、卵、ジュース・コーヒーなど。豪華ではないが充分である。特に蜂蜜がおいしかった。
天気もよく体調も悪くない。昨夜食事をしたレストランの近くのモスクが見える。遠くにアトラス山脈
 今日はマラケシュの旧市街を自分たちで散策予定。ともかくあのジャマ・エル・フナ広場まで行ってみる。通りは金属製の鍋を売る店、絨毯屋、ランプ屋、香辛料やナッツ、干した果物を積み上げた店、衣類・かばん屋、スリッパや革製品の店などいわゆる昔の日本の商店街が枝分かれしながら延々続く。旅行初日なので買いたいものが自分自身でもはっきりわからないのが残念。もちろん相場も。
 最初に広場の南側の見学に向かう。アル・マンスール・モスク、サアード朝の墳墓群、王宮、エル・バディ宮殿を迷いながら回る。通り抜けられるかと思っていくと行き止まりだったり、道筋が1本違ったり。ガイドブックの地図がわかりにくく(夫は間違っていると言う)、地図を購入。モロッコでは異教徒はモスクは立ち入り禁止。外から様子をうかがっていても何だかとがめられそうな雰囲気。スカーフさえすれば中に入れてくれたエジプトとは大違いだ。歩いていると気軽に呼びかける感じはよく似ているのに。迷っている間に、日本料理の店「橘」を発見。しかしここで日本料理でもなかろうと、お昼は途中で目に付いたモロッコの伝統料理の店へ。

 中は広々として絨毯を敷き詰めた部屋はゴージャスだ。何を頼んでいいかわからなかったので、昼の定食のようなものを頼む。モロッコ風サラダと煮込みのようなもの。初モロッコ料理で珍しさも伴っておいしく食べたが、これからこれが定番になってしまうとは。このときはまだ何も知る由もなし。
 一休みして一息ついた後、またぐるぐるまわる。宿の北方向にあるベン・ユーセフモスクへも行こうといったん宿の方向に戻り、そこまではちゃんと戻れたので簡単に行けると思ったのだが、これが大間違い。予想以上に距離感が違っていて迷う。ようやくついて来いと案内してくれた子供の後をついていって到着。苦労した割りにモスクの様子は覚えていない。ここも中は異教徒立ち入り禁止。また、フナ広場へ取って返し、増えてきた屋台で食べるかどうか協議。ケバブを焼く煙がすごい。いいにおいがしているのだが、夫がおなかをこわすから屋台は絶対に嫌ということで、他の店を探す。目星をつけていた店には満員で断わられ、不穏な雰囲気の中、しかたなく途中で目に付いたフランス語のメニューを出している店に入ったら何とこれが大当たり。外からはうかがい知れぬほど中はおしゃれで洗練された雰囲気。フランス語だけのメニューはわからないながら適当に注文したが、ワインもおいしく料理もおしゃれで大満足だった。気分よく宿に帰り就寝。

4月7日(土) マラケシュ8:00発−未舗装道路経由−ワルザザード(メルキュールH泊)

 今日は、専用車でワルザザードまで行く。待合せの小さな広場でドライバーと車に落ち合う。おとなしくまじめそうなドライバーだ。実際まじめに詳しく説明してくれた。昨日たくさん迷った旧市街を抜け、アトラス越えだ。行きかう車は少なく快適なドライブ。山肌の褶曲がはっきりと見える。時々山裾に乾いた泥色の集落がぽつぽつ見える。

峠を越えて、私たちは旧道へ。時々ノマドと呼ばれる遊牧民の姿が遠くに見える。

テロウェットのカスバ到着。

 今は大きなこうのとりの巣が作られ、まさに栄華の跡。昼食は近くのレストラン。外で食べる。チキンのタジン。大きなじゃがいもがおいしい。途中で人がうじゃうじゃいると思ったら結婚式があるのだとか。残念ながら車の中からしか撮影できず。

 ここからは舗装をしていない道をワルザザードへ向かう。ドライバーは細かなハンドルさばきでゆっくり進む。新道ができてから観光客はほとんど通らない道のようだ。子供が懐に入れた生まれて数日の子羊を見せてくれる。かなりの傾斜を上り下りする。途中の広くなった道で休憩。近所の子が路上に店を開いている。アンモナイトや何でできているかわからない黒いネックレス。買えばよかった。もう二度とここへ来ることはないだろうに。

 蜂箱が置いてある草っぱらを過ぎると、アイトベンハッドウはすぐ。遠くからでもそれとわかる。駐車場から川を渡って小山のような場所へ。

 悪路を通るために緊張してこわばっていた体をほぐす。アラビアのロレンスのロケ地としても有名で日本人のツアー客に出会う。年配の人が多い。ここからワルザザードの街はすぐだ。今日の宿メルキュールへ。ホテルは4星というが部屋はやや狭い。眺めはいいのだが。夜はホテルのレストランでビュッフェ。広いプールがあるが寒いので泳げず残念。

4月8日(日) ワルザザード−南部ザゴラ観光−ワルザザード(メルキュールH泊)

 今日はワルザザードから南部のザゴラへ日帰り旅行。ホテルから川を渡ってすぐの原っぱがビニール袋などのゴミでいっぱいである。どうしてと思うほど。ここから道はよく、ドラア川沿いの眺めは雄大だ。

 途中いくつかカスバに寄ったり、オアシスの中を走ったりする。日差しがだんだんきつくなる。ザゴラ到着。暑い。かつてトンブクトゥとの貿易の中継地点だったところ。途中にトンブクトゥまで矢印のついた看板がある。

 突然こんもりとした砂山が出てくる。らくだ引きもいる。らくだを断わり砂山を歩いて登るが、このあたりは砂漠の中でも砂礫が中心で、砂は珍しいようだ。タムグルートの村を見学。図書館があるが今日は休み。壁で覆われた住まいは涼しいが、外は暑いので昼間うろうろする人はいないそうだ。小さな店で飾り皿2枚購入。
 昼食は町へ戻りホテル・カスバ・アスマのプール脇で。

 フランス人らしき子供が楽しそうに泳いでいる。このホテルで泊まっているようだ。フランス人にとってはなじみのリゾートのよう。昼食後は、同じ道をワルザザードへ戻る。
 途中休憩した場所で。このTシャツとズボン、懐かしいなあ。8月のキリマンジャロ行きの時のなくなった荷物の中に入れていたので、もうない。この時着ていたものは他にもかなりなくなってしまった。

 明日は同行者が4人増え総勢6人のグループになる。夕食はホテル近くのタウリルトのカスバの中のレストラン。ドライバーさんのお勧め。

4月9日(月) ワルザザード−トドラー谷−エルフードーリッサニーキャンプ地(テント泊)

 今日からは別のドライバー。ホテルで4人の旅行者とドライバーと合流。女性3人グループと男性1人で、女性たちは旅行会社勤務、男性は青年海外協力隊の2年の任期を終え帰国前の旅行中だ。みんな気持のいい若者で一安心。年配の私たちに気を遣ってくれる。車は新しくきれいだ。自己紹介などをしながら、カスバ街道を抜け、トドラー峡谷へ。
 途中のカスバ

 トドラー峡谷。壁を登っている人がいたのでびっくり。

 途中でバラの化粧水・クリームと絨毯購入。トドラー峡谷はきれいなのだが、すっかり観光地。ここを超えてマラケシュへ行くルートなどのほうがおもしろそうだ。お昼はモロッコパンとタジン。またタジンといいながらせっせと食べる。モロッコパンもいつのまにかちぎって食べてしまう。ここからはエルフードへ砂漠の中の道を向かう。途中で遊牧民のキャンプでお茶をいただく。

 リッサニを過ぎ、メルズーガへ。ようやく到着。ここで大きな荷物は車に預けらくだに乗って今日のキャンプ地まで行くのだ。早速、身支度。どうも風が強くちょっとした砂嵐のようだ。女性3人組はマスクやゴーグルなど準備万端。私もスカーフで覆面をする。ここのらくだはおとなしくエジプトに比べて乗り心地も悪くない。夕暮れ、ほとんど最後の出発。ゆっくり進む。砂嵐で前が見えず痛い。が、おもしろい。何で道がわかるのか不思議だったが、慣れた道なのか。らくだの糞がてんてんと落ちているし。一直線に連なって進む。暗くなってくる。まるで月の砂漠の歌のようだ、砂嵐がなければ。1時間ぐらいらくだの背に揺られてキャンプ到着。食事の場所と寝る場所は別だ。晩御飯はまた、タジン。チキンだ。ここで飼っている鶏をつぶしたやつだ。合理的。おいしいが同じ味だしなー、と言いながらやっぱりせっせと食べる。テントでお休み。明日は早起きして日の出を見るぞ。

4月10日(火) キャンプ地−リッサニ−エルフード−イフレン−フェズ(Riad Fez泊)

 夫と暗がりの中を起きて、向かいの砂山に登ることにする。途中までは楽々だったが、靴が砂にうずもれて歩きにくいことこの上なし。もう少しもう少しと言いながら進む。何人か同じような物好きがいる。ようやく座って日の出。

 肝心の日の出は、砂漠に上る真っ赤な太陽というわけにはいかなかった。まあ、現実はこんなものか。苦労した上りも下りは簡単。走って下りる。朝食はこれも定番のモロッコパンとチーズなど。もう食べるしかない。帰りは穏やかな晴天の中をゆっくりとらくだに揺られてホテルまで。


 ここで男性のI君はお別れ。マラケシュに引き返すのだ。私たちと女性3人組は砂漠のガイドさんと一緒にフェズへ。昼食は途中のレストランでワインなどを飲みながらチキン。車の中ではみんなすっかり疲れて爆睡。ガイドさんも爆睡。ようやくフェズ。ガイドさんが今日の宿まで付いていってくれる。ありがたい。何の変哲もないドアをノックして中に入ると別世界。すばらしい装飾の部屋。砂漠から来たので埃だらけの服がちょっと恥ずかしいぐらい。ゆっくりとミントティーをいただいた後部屋に案内される。部屋の料金表を見るとおそらく予約よりランクアップされた部屋のようだ。事前情報では大きくモダンと伝統的な部屋の2種類に分かれ、部屋ごとにコンセプトも違うとのこと。私たちのは伝統的なタイプ、ピンクが基調のかわいらしい部屋だ。

屋上から見た景色。洗濯物が干してあったり、パラボナアンテナが散見される。地震がきたら即アウトだよね。

 夕食をお願いするが、リクエストメニューは締め切っており簡単なメニューとのこと。夕食まで旧市街を散歩することにする。ここのスークもまたわかりにくいが、マラケシュのほうがもっと難しかった気がする。それとも慣れたせいか。
 フェズの旧市街のシンボル、カラウィン・モスク

 らくだの肉は食べる気がしませんでした。

 砂漠から来ると肌寒いくらいだ。これと言って買いたい物もないので、部屋に戻り夕食。レストランは内装もフェズブルーの食器もおしゃれで、夕食もおいしい。暖炉のそばで飲むモロッコのワインもなかなか。満足して就寝。

4月11日(水) フェズ滞在 (Riad Fez 泊)

 ビュッフェではない朝食。手作りヨーグルトがおいしい。大満足。今日はまず、明日の列車の切符を買いに新市街の駅まで。午後発のつもりだったが、明るいうちにカサブランカに着いたほうがということで午前発のカサブランカ行きに変更。首尾よく購入。それから旧市街に戻り、周囲を散歩するはずが、しっかり迷ってしまった。何とパトカーが止まってくれ、ジャメイ門まで連れて行ってくれた。せっかくだから近くのパレジャメイホテルへ。旧市街を見渡せる場所にありロケーション抜群。すばらしい眺めだ。

ここから、下へ降りていくと私たちの宿までいける筈だ。Riad近くのブー・ジュルード門

 何とか宿まで帰る。夕方、食事の前にもう一度スークを回っていると雨が降り出し散々な目に。寒い。こんなことなら、名物ハマームを予約すればよかった。夕食は、予約していた料理で、手が込んでいておいしい。早めに休む。

4月12日(木) フェズ11:00発(列車で)−15:20カサブランカ着(ベストウエスタンHツブカル泊)

 楽しみにしていた朝食後、タクシーで駅まで行く。メーター制なので乗りやすいのだ。昼食用の食べ物を探していると、歩いている人がサンドイッチ屋さんに連れて行ってくれる。フランスパンに好きな具を入れてもらうやつ。値段的には決して安くないが、おいしそう。
 ようやく列車に乗り込む。列車の指定席。向かい合わせの4人がけ。

 フランス人らしきおじさんに私たちの席が間違っていると言われたが、実際に間違っていたのは、そのおじさんだった。全く、自信たっぷりだったな。景色を見ながらカサブランカへ。もう旅行も終わりだ。カサブランカ駅で乗ったタクシーは違うホテルに連れて行った。はっきり予約してあると言ったのに、全く油断も隙もない。私たちのホテルは中級。やや古めだが部屋は広かった。向かいのホテルが高級なメリディアン。どうせなら、ここかシェラトンかハイアットにすればよかった。結局夕食はメリディアン、朝食はシェラトンで食べたのだから。本当は夕食は海の近くで食べたかったのだが、始まる時間が遅すぎて却下。いろいろ探したのだが適当なところが見つからず、結局メリディアンで食べたのだった。
 後ろはグラン・モスク。港の近く。

4月13日(金) カサブランカ13:20発(エミレーツ航空)−

 朝食は散歩がてら歩いてシェラトンで。高級ホテルだけあって豪華だが値段も高い。市場を見に行きたかったのだが結局行き着けず、ホテルに帰った。タクシーで空港へ。検査が厳しく時間が遅れている。途中で、運行側からクレームがでたらしく、フリーパス状態に。いったい何のための検査?待合室ではお祈りをする人もありやはりイスラムの国だ。帰りの飛行機の中の状態を見ておこうと心に決める。ようやくドバイ到着。機内はやっぱりすさまじい状態。これって何だろうね。

4月14日(土) 1:10ドバイ2:45(エミレーツ航空)−17:40中部着−名古屋(新幹線)−新大阪−

 名古屋行きの待合せ時間は短く、あまり買い物をする時間もなかった。深夜、機内に乗り込み寝てしまう。中部到着。名古屋から新幹線で我が家へ。
旅行終了。

旅行を終えて

 急に決めたモロッコ旅行。モロッコに対する予備知識があまりなくうまくいくかどうか心配だったが、現地の旅行会社の方のアレンジのおかげで楽しい旅行になった。事前のホテルが予約できていなかったことなどトラブルはあったが、出発時には解決していたし、おおむね順調だった。もっとも迎えの人と会うまで心配ではあったが。
 行程に関しても、前半は二人で、中盤に他の若い旅行者と一緒、後半はまた二人でと、これも変化があってよかった。宿泊は、モロッコ独特のリアドに宿泊できたことがよかった。特にフェズのリアドフェズは大正解。個人旅行で泊まるのならこんなところがいいなと思わせられるリアド。お勧めです。
 マラケシュやフェズの旧市街のスークはまだ生活の場でもあるようだが、やはり観光客中心、新市街はごく普通の都会の生活が行われている。ランプや雑貨を買うのならスークも面白いが、私にはセンスもなく実際に使うものとして買いたいものはあまりなかった。フェズブルーの食器も予想以上に高く、これなら日本にもっと質のいいものがあると思って買わなかった。旧市街は観光地として残っていくであろうけど。しかし買い物はともかく、扉一つで中と外の印象が激変する旧市街の家は、子供の頃からの疑問を解いてくれた気がする。子供のときに読んだ「アリババと40人の盗賊」。モルジアナが扉につけた盗賊の目印を不審に思って他所の家のドアにも同じ印をつけてわからなくしたこと、どうして印一つで家がわからなくなるか疑問だったが、この街を見ると腑に落ちた気がする。土壁が続いていて表から見えるのは扉だけなので、慣れない人間には、同じ目印をつけられると、どこの家かわからなくなってしまうのだ。
 砂漠のテント泊はお勧め。らくだも1時間以上乗るので満足できる。でも当たり前だが観光地。景色はすばらしい。

今振り返って

 当時はユーロ高、しかもイースター休暇とあってフランス人をはじめヨーロッパの人でいっぱいだった。やはりヨーロッパ特にフランスとは関係が深い。また、リアドの経営者もフランス人が多いらしい。フランス語は普通に通じる。映画「カサブランカ」を思い出させるものはなかったが。
 今も残っているモロッコの印象は、何といってもタジン。おいしいけれど飽きる、毎日すき焼きを食べられないのと同じで。最近流行っているタジン鍋、あまりにもタジン攻めだったのが印象に残りすぎで、やっぱり買う気がしません。しまうところにも困りそうだし。他にはイスラムの国だということ、モスク、ねずみ男みたいなジュラバ、ミントティー(これも飲みすぎると嫌になってくる)。  
 アトラス山脈越え、旧道の景色、砂漠、アトラス山脈を越えると風景が変わり、服装も変わる。景色は雄大。しかし、この旅行後からキリマンジャロに登ったり、海外の山に目を向けだしたので、自分の足で車のいけないところまで歩く面白さを知ってしまうと、今となっては少し物足らない。ツブカル山を登るためにモロッコは残しておくべきだったかとちょっと後悔している。今だったら、絶対にツブカルが登れる時期に登山とセットで計画しただろう。また印象も違っていたかもしれない。
 エジプト旅行以降、個人旅行者向けのホテルやその土地独特の宿泊施設に目が向くようになった。特にこのモロッコ旅行はリアドがよかったこともあり、それ以降の宿泊施設の選択に大きな影響があった。

読んでいった本

モロッコ流謫

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ハーレムの少女ファティマ―モロッコの古都フェズに生まれて

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迷宮都市モロッコを歩く (AROUND THE WORLD LIBRARY―気球の本)

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来て見てモロッコ

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