エクアドル コトパクシ・チンボラソ登山(2008年8月6日〜18日)
コトパクシ山(5897m)
日程(予定) ○は予定変更
8月6日(水) 伊丹10:00発−羽田−成田(デルタ航空)15:30発−アトランタ−キト20:53着
8月7日(木) キト(2850m)滞在 キト(泊)
8月8日(金) キト(2850m)観光−オタバロ(2450m)(泊)
8月9日(土) オタバロ(2450m)−クイコチャ湖(3000m)−オタバロ(2450m)(泊)
8月10日(日) オタバロ(2450m)−フヤフヤ山(4200m)ーキト(2850m)(泊)
8月11日(月) キト(2850m)−パソチョア山(4150m)−チャウピ(3400m)(泊)
8月12日(火) チャウピ(3400m)−イリニサノース(5112m)−チャスキ(3170m)(泊)
8月13日(水) チャスキ(3170m)−コトパクシ山小屋(4800m)−タンボパクシ(3750m)(泊)
8月14日(木) タンボパクシ(3750m)−コトパクシ山小屋(4800m)(泊)
8月15日(金)コトパクシ小屋(4800m)−コトパクシ山頂(5897m)−バーニョス(1800m)(泊)
○8月16日(土) バーニョス(1800m)滞在 バーニョス(泊)
○8月17日(日) バーニョス(1800m)−チンボラソ山小屋(5000m)−キト(2850m)(泊)
8月18日(月) キト22:40発(デルタ航空)−アトランタ−成田−伊丹着
出発するまで
2月に登ったパプアニューギニアのウィルヘルム山でKさんとお話して、アイゼン、ピッケルを使った登山にも行こうと方針転換をした。アイゼンを使えると行ける山が格段に増えるからだ。けれども、学生時代に少し経験がある程度。30年もたった今、体力的にも技術的にも自信がない。残雪期に燕山荘の春山登山教室に行くことにした。4月後半、第1回の教室。当日は初心者20名弱が赤沼オーナー兄弟を始めスタッフの指導で燕岳に登る。冬用登山靴、アイゼン、ピッケル、冬用上下服、スパッツ、全部新品。生憎、稜線上で風が強く吹雪になった。でもこれが幸いだった。好天では多少の無理もきくが、悪天候は専門家の言葉が身に染みる。燕山荘での夕食後の赤沼オーナーのお話も有益だった。結局燕山荘までで燕岳には登れなかったが、自分たちでもやれそうだと自信がついた。
次は、佐藤小屋前泊で5月3日に富士山に登ることにした。この日も生憎の小雨。登るかどうか迷ったが訓練だから行けるところまで行こうと遅めに出発。湿った深い雪に足をとられ、予定時間を過ぎたので8合目で引き返した。頂上まで行けなかったが、登れる感触を得られた。
もう一度、雪のある間に富士山へということで、5月31日、今度は富士宮のビジネスホテルに前泊して富士宮口から富士山を目指した。この日も雨。天候のせいか、登っている人はほとんどいない。9合目あたりで引き返しかけたが、登頂して降りてくる人と出会い、登りなおしてようやく頂上。アイゼンの練習もできたし、満足のいく結果だった。
これらの山行と平行して、5月の半ばからコトパクシに照準を合わせ、現地の旅行会社と手配の準備を進めていた。これだけの経験では無謀である。だが、エクアドルの山は街からのアプローチが短く、調子が悪ければ撤退しやすいのが利点である。手頃と思われたメキシコの山は8月は雨期で適当ではない。それに4月に大学を休学して自転車旅行に出発した三男が、8月ごろエクアドルに着きそうだという情報もあった。三男は、キリマンジャロ、パプアにも同行しており、多少登山の心得がある。うまくいけばエクアドルで会えるだろうし、一緒に登山ができればもっとよしと考えたのだった。
その後、7月に2回富士山に登り、直前には恒例になった低酸素室にも3回通い高度順化を図った。三男とはe−mailで連絡を取り、私たちより1日遅れでエクアドルの首都キトに到着する旨の連絡を受けた。三男の装備は、トレッキングシューズ、スパッツなどは持って行き、冬用靴やアイゼンは現地でレンタルすることにした。
エクアドルへ出発
8月6日(水)伊丹10:00発−羽田−成田(デルタ航空)15:30発−アトランタ−キト20:53着
連日の猛暑の中を出発。関空からは北米便が減っており、面倒だが成田経由のほうが乗り継ぎがよい。
夏休み中とあって成田は大混雑。デルタ航空はチェックインを開始しており、すでに長い行列。漸く自分達の番になって、荷物の重量超過を指摘された。デルタは預託荷物は一人2個まで、各23キロまでは無料。私達はそれを合計重量だと誤解していて、スーツケースが10キロ以上の重量オーバー。今さら荷物を積み替える時間も余裕もなく、超過料金17500円を支払った。総量では60キロぐらいなのだから、うまく荷物を分散していれば払う必要はなかったのだ。荷物に関してはデルタのホームページで、一人2個、23キロというのは見ていたのだから、全くの注意不足。帰りは、きちんと分散しようと話す。
デルタの機内はほぼ満員。私達の席は、後ろから2番目の窓側2人席。すぐ前までは3人席で、最後尾はトイレの横。3列の中では最善の席だった。定刻より少し遅れて出発。17:00ぐらいから飲み物が配られる。アメリカの飛行機は、アルコールが有料と聞いていたのでスプライトを頼む。1時間後に夕食。夕食時は1杯だけアルコールが無料ということでビールを頼む。これ以降は、高度順化のこともありアルコールは自粛するつもり。結局寝てしまい、次の食事は自分では朝食なのか昼食なのかわからないまま食べて、14:50アトランタ着。 乗り継ぎ時間が1時間半ぐらいと少ないので大急ぎで、入国審査の列に加わる。なかなか進まないのでイライラしたのだが、アメリカ人用の窓口が終了すると外国人にも開放され列は消化。このあたりは非常にシステム化されている。キト行きの飛行機に乗り込むと片側3列の狭い機体。体格のいい乗務員がようやく通れるほどの。
16:40いよいよキトへ出発。初めての南米、どんなところかと期待が膨らむ。着陸態勢に入ると窓の外にきらめく光。すばらしい夜景が見える。21:00キト到着。
入国審査の長い行列。1時間ぐらいかかってようやく通過。

迎えの現地の旅行会社の日本人女性Iさんとうまく会えた。e-mailでの丁寧な応対どおりの感じのいいスリムな美人。8月というのに長袖の薄いジャケットでは寒いくらいだ。それもそのはず、赤道直下ながらキトは標高2850mの高地にあるからだ。22時半頃スイソテルにチェックイン。キトでも1、2の豪華ホテルだけあって、ロビーはバラの花がたくさんいけられ洗練された雰囲気。4階道路側の部屋で説明を聞き、ゆっくりお風呂に入る。熱いお風呂は生き返るよう。部屋も広くてきれいだ。窓から高い位置にびっしり灯りが見える。つまり、山があって家が建っているということ?明日明るくなって確かめようと思っている間に寝てしまった。
8月7日(木) キト(2850m)滞在
今日は、休養日。朝6時半には目がさめる。頭も痛くないし、元気だ。昨日の灯りはやはり山に建てられた家だった。予想以上に山が高く近くに見える。

シャワーを浴びて7時半には朝食へ。バイキング形式の朝食は種類も多く豪華だ。特にフレッシュジュースは種類も多くて、中味がわかるのはパパイヤとオレンジらしいものだけ。ためしに全部飲んでみる。ちょっとすっぱくて赤いのはあとでツリートマトだと判明。(トマトとは別物)。どれもおいしいけど、これが私の一押し。食事もおいしいので、ちょっと食べ過ぎてしまう。その後で、高度順化と観光を兼ね街を散歩することにする。
まず、近くのスーパーマーケットへ水を買いに行く。ついでに品揃えと価格チェック。牛肉の塊は100グラムあたり100円以下。果物が豊富。次は博物館を目指して歩く。思ったより都会で、涼しく、治安も悪くなさそうだ。ただ2850mと高地にあるため、急いで歩くとやや息切れする。長い行列はアメリカ大使館前。ビザをもらうために並んでいるようだ。銀行だけと思いウロウロしてしまったが、それが博物館だった(実は中央銀行博物館という)。
荷物を預けて中で観賞する。日本の土器にそっくりなもの、豊富な金を思わせるぴかぴかの装飾品など、かつての繁栄がうかがえる。近くのインディへナマーケット、公園、ショッピングモールなど、結局お昼ご飯も食べずに10時から歩き回って、ホテル帰着が16時。疲れた。これは高度の影響もあるに違いない。部屋でうとうとした後で、夕食がてらパナマ帽を買いに行くことにする。フロントの人に教えてもらったホテルの裏手の専門店。中に入ると一目でセンスがいい事がわかるが、値段もマーケットとは大違い。お義父さんの帽子と、女性用を二つ買う。
夕食は歩いて旅行会社のIさん推奨のエクアドル料理を食べに行った。新市街のこのあたりは夕方歩いても平気だ。何を頼んでいいかわからないのでとりあえずジャガイモのスープと鶏、エビの料理を注文。くせがなくおいしい。値段は2人で40ドルぐらい。
ホテルのプールで少し泳いだ後、ジャグジーに行き、さっぱりした後で、Iさんと一緒に三男を空港まで迎えに行く。私は3ヶ月前の5月にバンクーバーで会って以来、夫は4月の出発以来だ。飛行機到着から20分ぐらい、ダンボールの大箱(自転車を入れていた)と一緒にひげを生やした汚い子が出てきたと思ったら三男だった。今日の入国はスムーズだったようだ。
久しぶりに会ったとはいうものの、ホテルでは、明日からの荷物整理。コネクティングルームなのに鍵が開かず、フロントに言うが結局届かず。何だかんだといいながら、漸く荷物をまとめ、寝る。
8月8日(金)キト(2850m)観光−オタバロ(2450m)泊
7時に食堂へ。相変わらず豪華な朝食。荷物の最終チェックをして、オタバロ行きに必要のないものはホテルに預け、ロビーでガイドのハイメさんとIさんに会う。市内観光はタクシーで行くそうで、オタバロ行きの荷物も一旦フロントに預け、旧市街へ出かける。
旧市街のパネシージョの丘。キト市内が一望できる。
キトの街は広く、起伏があるのがわかる。教会、大統領府、独立広場などを見学。内装の豪華な金箔にびっくりする。



ホテルに戻って、ガイドのハイメさんの車(トヨタ製)で出発。パンアメリカハイウエイを北上する。遅い車を追い越すのがスリル満点。13時過ぎ、赤道記念碑のすぐ近くのレストランへ。鶏料理を注文。初めての場所はだいたい鶏を選ぶと失敗がない。ここのも口に合う。続々と観光客が入ってくる。
赤道上の博物館へ。あまり興味がなかったのだが、卵を立てたり、水の渦のまき方を見たりとなかなかおもしろい。何より案内の女の子の説明が上手で気持ちがよく、時間を忘れるぐらい。

その後赤道記念碑に行くが、ここは観光客がいっぱいで、まあこんなものかという感じ。ガラパゴスに行くという年配の日本人ツアーの人たちに出会う。日本人に会ったのは初めてだ。早めに引き上げ、オタバロヘ向かう。街らしい場所に来たので、もうそろそろかなと思っていると何気なく道路脇に車が停まり、それが今日の宿、オタバロホテル。満員ではないらしく、2階の突き当たりの続き部屋に泊まることになった。家族向けの部屋らしく、手前の部屋にベッド2つ、奥の部屋にベッド4つ、その先にシャワーとトイレという配置。調度品は新しくはないが、清潔に整えられている。とりあえずシャワーをとコックをひねるが、いつまでたってもシャワーがお湯にならず、見てもらって、ぬるいお湯がやっと出る。寒い。夕食は19時から歩いて外のレストランへ。寒いので暖炉のそばの席に行き温まる。今日は特別と赤ワインのハーフボトルを頼み、牛肉を注文。味があっておいしい。紫色にライトアップされた教会を見ながら帰り21時就寝。

8月9日(土) オタバロ(2450m)−クイコチャ湖(3000m)−オタバロ(2450m)泊
朝方目がさめ、まだまだと思っていたら、7時。慌ててしたくし、朝食に降りる。朝食は、パンにコーヒーか紅茶かココア、卵料理、生ジュース。質素だがそれなりにおいしいものだった。食欲があるので安心する。
8時出発。途中のガソリンスタンドで水を買い、クイコチャ湖へ。湖の中央に島が見える。
天気もいいし、きれいなところだ。湖を一周するらしい。結構距離があって、時間がかかりそう。9:30出発。いろいろハーブのような花が咲いていてきれいだ。
調子も悪くない。歩くにつれて、島の角度が変わって見える。
12時に眺めのいいところでチキンサンドの昼食。これはガイドのハイメさんが作ったもの。何でもやるんだね。なかなかおいしい。あっというまに食べてしまう。牛を放牧している横を過ぎて湖から外れ、車道を歩く。
13:30、出発のときに見上げた山の上のレストランに到着。これで湖を一周したことになる。ここからは湖全体を眺めることができ宿泊も可能。
車に乗り込み14:40オタバロのホテル到着。すぐに、土曜マーケットに出かける。たくさんの露天が並んでいて、あまりにたくさんなので、とりあえずひととおり見ることにする。木の実のネックレスと、ベルトを5ドルで買い、クッションカバーも6枚買ってしまう。24ドル。これは高すぎたかな。思い切ってタペストリーも買う。33ドル。16時ごろから店じまいが始まる。もうちょっと見ていたかったけれど。三男はネットカフェに行って、その後アイスクリームを食べたそうだ。アイスクリーム大好き人間!
18:30から昨日とは別のレストランで夕食。これも雰囲気のいいレストランで鶏を注文。ハイメさんは牛肉。こっちの鶏は本当においしい。赤ワインのハーフボトルを注文。隣のテーブルの白人夫婦は牛肉の焼き方が気に入らなかったらしく、お皿を下げさせ新しいものを要求。もっとレアなものが食べたかったらしいが、なかなか私にはできないと思う。音楽の生演奏が始まり、聞き惚れる。特にケーナの音が耳に軟らかく、CD購入。10ドル。

部屋に帰って21:00就寝。
8月10日(日)オタバロ(2450m)−フヤフヤ山(4200m)ーキト(2850m)泊
7時に朝食。ゆっくり食べ、8:30出発。毎日少しずつ高度を上げていく。今日はフヤフヤ山というおもしろい名前の山。4200mだから富士山は軽く超えてしまう。車で出発。
モハンダ湖(3800m)。ほとりに車を置き9:40出発。

まわりは野外活動に来た子供達もいる。曇り時々雨模様なので、雨具着用。すでに富士山より高い場所にいるが、体調はよく高度順化はうまくいっているようだ。草原みたいなところを一気に登って行く。あちこちに青や赤の見たことのない花が咲いていてとてもきれい。
今日は楽だなと思っていたら、最後に岩が。えー、これを登るの。ハイメさんに指示されながら、何とか登る。下りは大丈夫かな。ようやく12:05に頂上到着(4200m)。曇っているし寒いので、おやつを食べて、すぐに下山を始める。下りは別の道だった。12:40に草原の眺めのいいところでパンとハム、チーズをサンドイッチにしながらお昼ご飯。これもすごくおいしい。
13:50モハンダ湖出発。パンアメリカハイウエイを南下して3日ぶりにキトへ帰る。16:20ホテル着。
前とは別の部屋にチェックイン。今度はコネクティングルームの鍵をしっかり開けてもらう。預けた荷物はもう部屋に運んであって、さすが一流ホテル。ウエルカムドリンクのジュースもおいしい。熱いシャワーで一息つく。18:30にハイメさんが迎えにきて、中華料理を食べに行くことにするが、休み。今日は日曜日なので休んでいる店も多い。前に食べたエクアドル料理の店の近くのアルゼンチン料理の店に行く。肉の炭火焼をシェアして、パスタ、サラダの夕食。今日は水だけ。明日から、またキトを離れて南下する。
8月11日(月) キト(2850m)−パソチョア山(4150m)−チャウピ(3400m)泊
7時過ぎにレストランで朝食。できるだけ食べ過ぎないようにと思うが、ジュース、果物は魅力的。
8時半にハイメさんが迎えに来て、三男のレンタル用品を選ぶ。オーバー手袋とプラスティックブーツをレンタルし、中手袋は購入。おつりがないためカード使用。レンタル料32ドル(8日間)+購入10ドルに手数料5ドルの47ドル。その他に保証金134ドル(返却時に返金される)オーバーヤッケ・ズボンは手持ちのゴアの雨具で代用。いろいろ手間取ったうえ、パソチョアへのアプローチの道があちこち工事中で、かなり遅れ気味。途中ハイメさんが気分が悪そうで心配するが、大丈夫だったようだ。
ようやく車止めに到着し、11:15出発。すでに何台も駐車してあり私達が最後の組か。今日はストックを使用。馬に乗った少年がやってきて通行料一人5ドルを渡す。牛の放牧地を登って行く。牛の糞を踏まないようにと思うがなかなか難しい。行く手にいくつか山が見えるのだが、どうも頂上は違うよう。途中で急に雨が降り出し、雨具着用。寒くはないが天気は変わりやすい。急坂を登っていると、頂上から子供の声がする。サマーキャンプの子供達らしい。簡単に4000m以上を登ってしまうなんて。

13:40パソチョア(4150m)到着。サンドイッチの昼食。コンドルが急降下するのが見える。14:05頂上を出発。さっき雨が降ったあたりで、今度はあられが降り出す。長い下り、15:20にようやく車止めに到着。もう他の車はいない。
15:30に出発し、16:30今日の宿チャウピのロッジ到着(3400m)。今晩のお客は私たちだけ。

ここは教会を中心にした小さな村で、雪をいただいたイリニサ(5112m)がきれいに見える。
大きな山だ。明日はあの山に登るのだが、登れるだろうか。あの山に簡単に登れるようでないとコトパクシなどとてもじゃないのだが。雪が積もることもあるとは聞いていたが、本当に積もってしまった。雪がないときよりはやや難しくなる。
三男の部屋も私達の部屋もベッド1つで、やや私達のほうが大きい。トイレは部屋についているが洗面所はなく廊下の突き当たりに別にトイレやシャワールームがある。明日の荷物整理をしている間に、イリニサに雲がかかってしまう。夕食までの間に近くを散歩。牛が放牧され、豚と鶏がうろうろしている。夕食は、豆のサラダ、スープ、ビーフステーキ、ごはん、ケーキのデザートまでついている。家庭料理といった感じで、特にスープがおいしくビーフも味があります。この家の子供達がお手伝いをして運んでくる。いつもは雪のないイリニサに雪が降ったので、ハイメさんがアイゼンのチェックに来た。トレッキングシューズを使うことにして、アイゼンはハイメさんがあわせてくれるとのこと。シャワーのお湯が出ないおそれがあったので、シャワーなしで19:20にベッドへ。子供達に何かを教えている声がするが、いつのまにか寝てしまう。
8月12日(火) チャウピ(3400m)−イリニサノース(5112m)−チャスキ(泊)
3:00に起き朝食。パンとコーヒーか紅茶かココアに卵料理、パイナップルジュース。朝早いのだが、用意してくれている。おいしく食べられるので、調子はいいと判断。
4:15出発。真っ暗な中を車が走る。星がきれい。途中で動物が出てくる。スカンクらしいが、全然わからず。どこを走っているかもわからないままに到着。5:05、まだ暗くヘッドランプをつけ、登り始める。ここには雪はない。だんだん明るくなってきて周りの状況がわかってくる。快晴だ。
コトパクシ山(5897m)

北イリニサ(5116m)これから登る山

南イリニサ(5248m)北イリニサより難しい

緩めの登りを登っていって7:40イリニサ小屋到着。男性が2人いる。
小さい小屋の中は炊事設備といくつかベッドが設置されている。前の予定ではここに泊まることになっていたのだが、下のロッジのほうが快適。ここで、ハーネス装着。ハイメさんのチェックが入る。
8:05小屋出発、雪がどんどん深くなり、すぐにアイゼン装着。ワンタッチでないため難しくハイメさんにやってもらう。情けない限り。ここから、急登。アイゼンは効くが、登りはきつい。

途中から岩が出てきて、ストックを置いて登る。下りのパーティに出会う。別のルートから登ったのだろうか。


11:05、やっと頂上。最後がきつかった。

おやつを食べ11:20には下り始める。下りは三男がトップ。登りとは別のルートで降りていく。途中でアイゼンを外してすべるように下りろと言われるが、これがまたへっぴり腰になってバランスを崩してしまう。ようやく13:50に車のところに到着。
長かった。行きは真っ暗だったのでよくわからなかったが、牛がいる。野生の牛らしい。あちこちに花が咲いていてとてもきれいだ。テントも張ってある。14:30ロッジ到着。遅い昼食を食べる。鶏を焼いたもの。これもおいしかった。今日は他にもお客さんがいる。

荷物を積み込み、コトパクシ国立公園の麓のチャスキへ向かう。真っ黒な雲がかかっているところは雨が降っているみたいで、変わりやすい天気のようだ。
16:10 今日の宿、ホステリア クエロ・デ・ルナ到着(3170m)。ハイウエイから500メートルぐらい入ったところにあるロッジで、周囲には牛が放牧されている。トリプルルームに通され休憩。ハイメさんは、車の調子がよくないようなので、今日はキトに戻り車を取り替えてくるとのこと。全くタフで頼もしい。早速部屋に落ち着いて、シャワーを浴びるが、最後にはお湯が水に変わってしまって寒い。ついでに洗濯をして中庭に干す。夕食は19時からなので、少し散歩するが、寒いので食堂棟の暖炉の前に居座って時間つぶし。

ビール片手のにぎやかな男女4人組がいる。特に若い女性が元気。ヨーロッパから来たようだが。バス到着。ドイツ人の年配グループだ。かなりお客さんが入っているようだ。三男は部屋で休養。19時から夕食なのに、なかなか食事が出てこない。今日はスープと豚肉のソテー、デザートはババロア。みんな同じメニュー。スープは昨日のロッジのほうがおいしかった。部屋に帰って20:30就寝。長い一日だった。
8月13日(水)チャスキ(3170m)−コトパクシ山小屋(4800m)−タンボパクシ(3750m)泊
8時半に朝食。ハイメさんも少し遅れて席につく。昨夜のうちにキトからこのホテルまで帰ってきたらしい。本当にタフ。フレッシュジュースがおいしい。荷物をまとめ、周囲を散歩した。すぐ横のがくんと低く落ちている場所は雨が降ると川になるのだろう。宙に浮いている杭を見つける。下の土地は崩れてなくなってしまったようだ。
9:50、昨日のにぎやかなグループが出発。女性2人、男性4人の6人グループだった。彼らもコトパクシに登るらしい。どうやら昨日はイリニサに登ったみたいだ。元気な若い女性は、今日のいでたちを見るとたくましそうで納得。10:10、新しい車になってようやく私達も出発。まず、ラタクンガで買出しをする。スーパーでパスタ、パンなどを買いコトパクシ国立公園へ。いよいよ、コトパクシ。12:30に公園内のレストランに到着。小さな博物館を見た後、13:30から昼食。トラウトを注文。三男は牛肉。スープもおいしく、またたくまに食べてしまう。こっちのお茶(ハーブティー)を試すが、あまりおいしくない。おいしかったら、お土産にしようと思っていたのだが。部屋ではストーブをたいている。曇りで肌寒い。
そこからはだだっ広い場所を走る。ヌーのいないセレンゲティのようだ。15:00タンポパクシのロッジ(3750m)到着。わらぶき屋根の素敵なロッジで、おとぎ話の家のようだ。
2階の窓のない(天窓がひとつあるが)屋根裏部屋のような部屋に案内される。ベッドが4つ。ここにハイメさんも寝るらしい。荷物もいっぱいで寝られるだろうか。もっと広い部屋が空いているみたいだが。大急ぎで用意し、コトパクシの駐車場へ急ぐ。途中に野生の馬が群れでいる。雄大な風景です。15:30コトパクシ駐車場へ到着。上にホセリバス小屋が見える。冬用の上着、ズボン、冬用の靴を履いてピッケルをザックにつけて出発。富士山によく似た深い砂のような道を登る。16:15 ホセリバス小屋(4800m)到着。
あの元気な女性にまた会う。今晩アタックするらしい。小屋より少し高いところまで行って高度順化をはかるそうだ。私達もハーネスをつけて雪上訓練のため雪のある場所まで歩いた。16:55アイゼンをつけて雪上訓練開始。歩き方を厳しくチェックされる。ハイメさんは、普段はややゆっくりめで、私からするともう少し早めにできるのではと思うのだが、こと山に関する限り、さすがガイド。厳しいししっかりしている。もっとも一人で、車も運転し、食事も作り、山も責任を持つわけだから、時間がかかるのは当たり前なのだが。18:20ホセリバス小屋に戻る。ここで,ピッケルやアイゼン、食料を倉庫にデポ。こんなことなら寝袋も持ってくればよかった。コトパクシの頂上付近が夕日に照らされきれいに見える。18:50駐車場へ下りる。薄暗くなってきた。暗い中をタンポパクシのロッジまで急ぐ。19:30ロッジ到着。すぐに夕食。スープ、鶏のソテー、デザート、どれもすばらしくおいしい。雰囲気もいい。
老若男女入り混じった10人ぐらいのグループは、家族のようだ。たぶんコトパクシには登らないだろうが、隣の4人グループは登るような感じ。ハイメさんが交渉の末、ひとり別の部屋に移る。荷物が減りこれで寝られそう。共同のシャワーを浴びて21:10就寝。10人グループはフランス人だった。
8月14日(木)タンボパクシ(3750m)−コトパクシ山小屋(4800m)泊
8:00に朝食。パン、コーヒーか紅茶、卵料理、フレッシュジュース、果物。どれもおいしい。天気がよければ広い窓からコトパクシが見えるはずだが、上のほうは雲がかかっていて見えない。昨夜は登れたのだろうか。出発まで散歩をしたり、ロッジのノートにコメントを書いたりと普段しないことをしてみる。10:20ロッジ出発、11:00ホセリバス小屋到着。途中自転車で山を駆け下るグループを見た。気持ちがいいだろう。小屋の2階がベッドの部屋。半畳ぐらいのベッドスペースが3段まであり、1番下を確保。すいているなと思ってのんびりしていたら続々到着。あっという間にいっぱいになってしまう。使わないものはロッカーに入れて鍵をかけておく。日帰りハイキングの人たちも続々と登ってくる。突然3人とも下痢。おなかも痛くないが、どうしたんだろう。念のため薬を飲む。昼食後、雪上訓練。歩き方、下り方、厳しくチェックが入る。夕食は18:00から、パスタ。おいしかった。調子はいいようだ。あとは天候だけか。サブガイドのフランシスコさんを紹介される。彼はスペイン語しか話せないようで、三男とザイルを結ぶことになる。ハイメさんから、登るときの注意がある。頂上アタックのタイムリミットは8時。本人の意志が固ければ8時半まで。体調や天候が悪ければ下山はガイドの権限で決めるなど。それにしても、たくさんの人。50人以上いるみたいだ。日本人は私達以外にいないが。みんなアタックを前に興奮気味。19:00ベッドへ。話し声が聞こえるが何とか寝る。
小屋から見たコトパクシ山


小屋の中。ここで食事をする。

小屋の2階。ここで寝る。

8月15日(金)コトパクシ小屋(4800m)−コトパクシ山頂(5897m)−バーニョス(1800m)泊
12:00起床。みんな続々と起き始めている。なんと雪が降っているのだ。夕方には雪のなかった小屋付近も10センチ以上積っていて風も強い。厳しい天候になってしまった。簡単にパンを食べコーヒーを飲み1:00出発。出発は早いほうだ。昨日と同じところでアイゼンをつける。あちこちにヘッドランプの灯りが見える。たくさんの人が登っているのだ。最初は三男と一緒だったが、余裕があるのでハイメさんの支持でフランシスコさんと先に行かせる。
1時間ぐらい歩いたところで、バランスが悪いのでストックからピッケルに変える。風が強く、アイゼンをつけているが、雪がすべる。かなりきつい。4時ごろ、なかなか前に進めず、もう無理かと思い始める。それでもあきらめずに一歩一歩登っていっているうちに、また何とか登っていけるようになってきた。そのうち周りの灯りが急に減ったような気がする。登るのをやめたのだろうか。途中でハイメさんのアイゼンが片方外れるのが見える。ばねの部分が外れたようだが上手に付け直してまた進む。だんだん明るくなってきた。周りの人は見えない。今度はおなかがすいてきた。ようやく、風がやや弱くなっているところで、クラッカーを食べ温かいお茶を飲む。バナナも食べて、後ろに同じように休んでいる人がいるのが見える。もう少し前に進んだところで、7時15分、登頂して下りてきた三男と出会う。三男は6時48分に登頂したそうだ。何も見えなかったそうだが。
コトパクシ頂上

頂上まであと1時間はかかる。時間をかければいけないことはないと思うが、8時半のタイムリミットぎりぎり。ここで、私はあきらめ三男と下りることにする。夫はハイメさんと一緒に登るのだ。2人なら登れるはず。下りも、かなりきつかった。疲れている上に、前のめりになってしまうので、バランスを崩して何度も転んでしまう。三男と言い争いながら下りていく。フランシスコさんはあきれただろうと思うが。先に下りているグループが1つだけ見える。雪のため昨日の下りとは一変しているのでルートがわかりにくく途中でアイゼンを外して、ゆっくり戻った。9時ホセリバス小屋到着。ピッケルにも氷がついたまま。小屋の中は、もうずいぶん人が減っている。フランス人のパーティの人がいる。彼らも途中で下りたらしい。5700mで下りたと言うと、「よくやった」とほめてくれる。昨夜の天気は悪すぎたと。夫、8:25登頂。10時に帰ってくる。結局、この日はガイドを含めて20人ぐらいしか登頂できなかった模様。曇っていて生憎の天気だが今日も日帰りで登る人が増えてきた。
10:50、小屋を出発。下りは楽だ。タンポパクシのロッジに預けていた荷物を取りに行く。ちょうど12時ごろ。ここでお昼かと思ったのだが、そのままハイウエイを下っていく。ラタクンガも過ぎアンバートで13:30から遅い昼食。スペイン風のおしゃれなレストランでシェラスコという典型的なエクアドル料理を食べた。上に目玉焼きがのっているビーフ、ライス、ポテトフライ、アボガドを1つのお皿で出すものだ。ワナワナという果物のジュースがおいしい。白い色で一見カルピスみたい。夫と三男は可能ならチンボラソに登りたいと要望を出す。ガイドは一人なので、私が行くと、途中で失敗の可能性が高い。私はあきらめることにした。前にも一度言ったのだが、明日の朝、気が変わらなかったらということになる。16:00バーニョス着。今日の宿はホテル・ビジャ・サンタクララ。中庭のある小さなホテルだ。
ハイメさんもフランシスコさんもバーニョスに自宅があることがわかる。フランシスコさんはここでお別れ。部屋は3人部屋。シャワーを浴びて荷物整理。三男はネットカフェに。私達は滝まで散歩に行く。すごい水量。隣の温泉にはいりたかったが、あまりの人にびっくりして断念。教会を中心にしたこじんまりとした街だ。18時半過ぎにハイメさんが迎えに来て、一押しの鶏の店に。炭火で焼いていて、いかにもおいしそう。ビールで乾杯する。もし、明日も元気ならチンボラソへ登りたいが可能かと聞く。ハイメさんはオフィスに追加の金額などを問い合わせておくとのこと。明日、9時に会う約束をする。すぐベッドへ。
長い一日だった。
8月16日(土)バーニョス(1800m)−チンボラソ山小屋(5000m)(泊)
朝方、鶏の鳴き声で目が覚める。7時半に別棟の食堂へ。パン、コーヒーか紅茶かココア、フレッシュジュース、卵の朝食。どれもおいしくパンのお代わりをする。もう一度シャワーを浴び準備。可能ならチンボラソに登ろうと話す。例によって、遅れ気味にハイメさんが来る。やはりチンボラソに登りたいというと、一人70ドルの追加で可能とのこと。12時に再度迎えに来ることになり、それまでフリータイムに。教会を見に行くことにする。立派な教会だ。今日は、土曜日で、神父さんが説教中。たくさんの人がお参りに来て、祈っている。途中で「サウンドオブサイレンス」の歌を歌っているのにびっくり。教会と何の関係があるのだろう。ドルが少なくなってきたので、ATMでお金を出すことにする。1回目は失敗。別のATMでようやく成功。300ドル引き出す。日本と違って、100ドル札なし。よかった。ぶらぶらとお店を冷やかし、パッションフルーツを7つ1ドル、椰子の繊維の帽子を10ドルで買う。最後の店で見た布製のバッグが気になり、もう一度買いに行くことにする。18ドル。12時過ぎにハイメさんが迎えに来て、昼食へ。鶏料理とジュースを頼む。どこで食べても鶏はおいしい。その後、スーパーで買出し。もう一軒寄って、ようやく14:20ごろ出発。結構遅くなってしまった。時間は大丈夫だろうか。裏道を通って、リオバンバの手前でチンボラソに向かう。天気がよくて、雪をいただくチンボラソがきれいに見える。

だんだん家が少なくなり、牛や羊の放牧地に。山全体がパッチワークのよう。だんだん草が少なくなり、茶色の世界になってくる。グワナコスがいる。
ここでも、自転車で山を下る人たちに出会う。みんなうれしそうだが結構怖そう。17:10カレル小屋(4800m)着。
カレル小屋

車が何台も停まっている。日帰り客もいるようだ。必要でない荷物は小屋の2階に預け、17:25からウインパー小屋に登り始める。私は荷物が軽いのと、小屋までという気の軽さか、先頭で調子よく登る。18:00ウインパー小屋着。

2階のベッドを確保する。すいていて寝やすそうだ。コトパクシのロッジと小屋で見かけた6人グループにまた出会う。その他に数人余り。暖炉に火が炊かれていて温かい。すぐに中華の焼きそばとチャーハンが出てくる。すごくおいしい。バーニョスでテイクアウトしたものだとわかる。ハイメやるじゃない!それで時間がかかっていたのか。
トイレで女性が苦しそうに吐いている。気の毒に大丈夫だろうか。19:10過ぎ寝る。23時前に起床。天気はよいようだ。軽くパンを食べるのを見ながら、準備を手伝う。
8月17日(日)チンボラソ山小屋(5000m)−チンボラソ山頂(6310m)−キト泊
午前0時過ぎハイメさんのガイドで夫と三男出発。次々出発。もう一度寝直す。同じように一人残る女性と話す。テレサさんという名前の感じのいい人で、ご主人がガイドさんと出発とのこと。心強い。
6時過ぎに目が覚め、外に出て天気の確認をする。風もないし天気はいい。
ウインパー小屋から見たチンボラソ山

ところが下りて来る人が見える。あの元気な女性2人だった。登頂は無理だったようだ。近くでトレーニングのためにキャンプをしている人が話し掛けてくる。日本の招きで、関西を中心に消防士の訓練を受けたそうだ。下りて来る人が見えるので、私も雪のある手前まで登ることにする。簡単に登れる。彼らも登れなかったそうだ。小屋まで戻り待っているが、それにしても遅い。心配になる。頂上付近に急に雲がかかってきた。下りてきたガイドさんのひとりが、夫と三男はゆっくり登っていると教えてくれる。ようやく、下りて来る人の姿が見えるようになったのでもう一度、雪のあるところまで出迎えに行く。出会う。

チンボラソ山頂上


登頂できたが、最後は嵐で何も見えなかったとのこと。あの雲のせいだ。結局登れたのは、ガイドを除くと5人だけ。10:30小屋に到着。
パンを食べ、11:15から下る。15分後カレル小屋。荷物を運ぶ馬がいる。

荷物を受け取り、ブラジル人とグアテマラ人のカップルを車に乗せ12:00出発。天気もよくすばらしい眺めだ。国道で、リオバンバに行くカップルを降ろし、キトへ向かう。夫と三男は寝てしまう。無理もない。一晩中歩いたのだから。ぽつぽつ家が点在する放牧地を眺めながら、車は下りて行く。それにしてもハイメさんはタフだ。いくつも小さな町を過ぎパンアメリカハイウエイに戻る。おなかがすいてくる。ようやく14:40ごろレストランへ入る。バイキング形式のレストランだ。色々なものを試してみる。鶏のスープがおいしい。運転しているハイメさんも疲れたのか何度も目をこすっている。やっと16:20キト到着。ハイメさんとはここでお別れだ。彼には本当にお世話になった。彼がいなかったらコトパクシもチンボラソも無理だったろう。ガイドの質の高さを実感する。スイソテルにチェックイン。1週間ぶりのホテルだ。今度は10階で中庭が見える側になる。預けた荷物はすでに運び込まれている。熱いお風呂に入って片付け。もう明日は日本へ帰る。夕食はホテル裏の中華料理レストランへ。高級そうなお店だ。エクアドルのビールを注文する。料理も、まあまあおいしい。全部同じような味付けだが。帰ってすぐに寝る。三男はこれからの準備に忙しいらしいが。
8月18日(月)キト−アトランタ−成田−伊丹
朝から雨が降っている。ずっと降りつづけなければいいが。7時半過ぎに朝食。今日は思いっきり食べる。果物がおいしい。豚のハムも癖がなく食べやすい。今回、食べ物は本当に恵まれた。味付けが薄いのがあきない理由のひとつだ。
今日は、レンタル用品を返すことと、帽子をもう1つ買うこと。スーパーマーケットでお土産の物色だ。やや雨が小降りになってきたので、まず帽子を買いに行くことにした。女性用帽子1つと、かばんを買う。その後、スーパーマーケットでお土産の物色。結局、話し掛けてきた男性のおすすめのエクアドルチョコレートとコーヒーにする。重いがジャムと黒砂糖の塊も買う。ようやく雨がやみ、レンタル用品を返しに行く。すぐ近くまで来ているはずなのに、見つからず何度も行ったり来たりする。ようやく見つかり、大急ぎでホテルへ。もう一度、出直し遅い昼食。結局、初日に食べたエクアドル料理の店に行く。おいしかった。三男の出発まであまり時間がない。ロビーの隅で自転車を組み立てさせてもらう。なかなかうまいものだ。前後両脇、後ろに荷物をつけて、出発。無事を祈る。今日は旧市街の安宿に泊まるそうだ。
私達は、部屋に戻り、ジャグジーに行ってのんびりすることにする。
19時にお迎えが来て、出発。空港で重量を測ってもらい、大急ぎで入れ替えをする。弱い荷物をぐるぐる巻きにしてもらい、(そのお金がなくて慌ててATMで出すのに手間取ったが、親切な男性のおかげで助かった)荷物は超過料金もとられずOKだった。2時間も遅れているため、ずいぶん待たされる。念入りな荷物チェックだが、意味をなしているようには思えない。ようやく、離陸。グアヤキルで一旦手荷物を持って機外に出て、また荷物チェック。これもほとんど意味がなさそう。毛布も配られず簡単な軽食のみでアトランタへ。乗り継ぎの荷物が成田まで行くかどうか心配でチェックするが、まず大丈夫そうだった。時間に余裕があったので、遅れてもあせらなかったが、乗り継ぎ時間の短い隣の男の子はどうしただろう。国内線だったから、次の飛行機でもよかったかもしれないが。
成田行きはさすがに日本人がほとんどだった。行きの飛行機でも一緒だったサッカー少年達に出くわし、びっくりする。後で中学生と聞いてまたびっくりする。中学生がブラジルまで遠征するのか。
ゲームをしながら、成田到着(13:10)。長かったがあまり寝ていない。伊丹行きは17:55なのでずいぶん時間がある。国内線の手続きをして休む。すっかり寝てしまった。4月、三男の出発の荷物をやり直してもらったところのすぐ近くだった。おすしを食べ、国内線へ。シンクロのデュエットが銅メダルを取ったシーンに見入る。帰ったらオリンピックを見よう。富士山がきれいに見える。伊丹からタクシーで帰る。イノシシが荒らした後が感じられる。明日からまた忙しい。
