パプアニューギニア・ウィルヘルム山(4509m)登山(2008年2月9日〜17日)
日程(予定) ○は予定変更
2月9日 (土) 伊丹−羽田−成田21:05発(ニューギニア航空)→
2月11日(月・祝)ベティーズロッジ(2600m)ーピュンデ湖・山小屋(3475m)(泊)
2月12日(火) ピュンデ湖山小屋−ウィルヘルム山登頂−ピュンデ湖山小屋(泊)
○2月13日(水) ピュンデ湖−ケグルスグル−ゴロカ バードオブパダイスホテル(泊)
○2月14日(木) ゴロカ−ケマセ村−ゴロカ バードオブパラダイスホテル(泊)
2月15日(金) ゴロカ10:45発−11:55ポートモレスビー着 ロロアタアイランドリゾ ート(泊)
2月17日(日) ホテル−成田−羽田11:30発−12:35伊丹着−自宅へ
出発まで
いろいろトラブルはあったものの前年8月にキリマンジャロ登山を終え、次に登れそうなところを考えていた。1週間ぐらいで日本が冬の時に行けて、今の私たちの実力でも登れそうな山はどこか?パプアのウィルヘルム山が浮上した。富士山より高いが、赤道近くにあるため雪がなく技術的に難しくない、ちょうど私たちがキリマンジャロに行った頃に、知人が登ったということも決め手になった。大学生の三男が春休みになる2月の連休を利用して、3人で行くことに決めた。今回も個人旅行とし、手配はPNGジャパンにお願いした。
今回はメモなどを書いたものが行方不明で細かい時間が書けないが、この登山が今後の方向を決める転換点になった。
ビザ
現地到着時払い 38ドル
パプアニュギニアへ出発
2月9日(土) 伊丹−羽田−成田21:05発(ニューギニア航空)→
21時出発ということで、伊丹出発は16:00を予定していた。しかし朝から雪が降り始め、もし積もってしまえば成田までたどり着けないかもと、無理やり航空会社に交渉し、13:00に変更してもらった。乗り込んだものの、雪はやむ気配がなく、何度か凍った羽の掃除に戻り、1時間以上遅れて出発。しかし、後でこれがこの日最後に出発した機体だということが判明。早めに判断して正解だった。三男もサークルの合宿から駆けつけ、17時ごろ成田で合流する。
おすしを食べ、搭乗手続きを待つ。出発ロビーでは山に登りそうな人、ダイビングの人などが待っている。ようやく出発。機内はすいているので、場所を移り横になって寝る。
2月10日(日)4:30ポートモレスビー8:30−9:40ゴロカ着(1500m)−クンディアワ− ケグルスグル・ベティーズロッジ(2600m)(泊)
寝ている間にポートモレスビーに到着。荷物が出てくる前に少しだけ両替をし、出迎えの現地係員と国内線の搭乗手続きをする。いったん空港を出て、近くのエアウェイズホテルのオープンエアのレストランで朝食。きれいなレストランで感じがいい。挨拶に来てくださった日本人の男性駐在員のKさんが大阪出身ということで話が弾む。食事もおいしい。朝食後、空港に戻り、国内線で内陸の高原ゴロカへ向かう。1時間ぐらいでゴロカ到着。
ゴロカ行きの国内線。
上から見るとパプアの山は禿山。ゴルフコースのようだ。ジャングルじゃなかったっけ?
ポートモレスビーはむっとしていたが、ここは高地の街だけあって涼しい。
迎えに出てくれた日本人女性のMさんの案内で、スーパーに行き水を調達。ここではスーパーは財布だけを持って入る。先週大雨が降って、道路が通行止めになったそうだが、今は開通したとのこと。やはり雨期はこんなこともあるのだと軽く考えていたら後でとんでもないことになるとは、そのときは知る由もなし。ガイドさん3人を紹介され、車に乗り込む。ドライバーの隣は警察官。どうも村々を通るときに必要らしい。車の後部が進行方向に平行に向かい合わせの席になっており、ガイドさんたちと向かい合わせに座り片言の英語で情報収集をする。みんな顔はいかついが和やかな雰囲気。
ところが途中から状況が一変。夫が気分が悪くなり、吐き始めたのだ。さっきまで何の問題もなかったので理由がわからない。ガイドさんたちも心配そうな顔をしている。何とかクンディアワのホテルまでたどり着き昼食。夫は食べずに横になる。夫の分がもったいないのでガイドさんに食べてもらう。
夫の席をドライバーの隣にしてもらい出発。どんどん山のほうに向かって進んでいく。
山の斜面の木を切って、畑に。
途中、村を通るたびに子供たちが手を振る。子供の頃の自分を思い出す。
野生なのか植えてあるのか、人の背を越えるほどの大きさのポインセチアらしきものがあちこちに見える。こんな大きなポインセチア、見たことがない(後で聞くとやはりポインセチアだった)。途中、小雨が降ったりしていたが、もうそろそろ到着かというときに虹が見える。幸先がいいと思うことにする。
結構なぬかるみの中を走り、ようやくベティーズロッジ到着。豪華ではないがきれいにしてある。今日の宿泊は私たちだけ。明日は日本人パーティがたくさん来るとベティさんが言う。無理して今日ここまで来てよかった。夫はかわいそうだけれど。
夕食はますの塩焼きと野菜料理、スープなど。薄味で非常においしい。夫は手作りのレモンジュースがお気に入り。独り占めだ。食欲も出てきたようで安心する。
私たちだけなので、のんびりベティさんの話を聞きながら食べる。長野県に留学してますの養殖を勉強したそうだ。いつか自分のますを日本に輸出したいと壮大な夢を持っている、スーパーおばあちゃんだ。シャワーを浴びて就寝。
2月11日(月・祝)ベティーズロッジ(2600m)ーピュンデ湖・山小屋(3480m)(泊)
レモンジュースのおかげか、夫は何とか回復し出発することにする。荷物を運んでくれる村人たちがたくさん現れてびっくりする。だいたい裸足。女性もいる。たくましい。
ゆっくり登り始める。
ガイドさんが斧を持っているのにぎょっとした。何に使うと思いますか?
雨ではないが曇りがちの中、ゆっくりと高度を上げていく。
すごい水量。雨の多さがうかがわれる。
誰にも会わない。何度か休憩して、小屋に到着。湖畔に小屋が二つある。小さいほうが私たちが泊るところだ。
トイレは少し離れたところ。簡単な屋根があり囲いがしてある簡素なものだ。昔の日本のトイレ。
荷物を置いて少し休んだ後、湖に出かける。
飛行機の残骸の話、遭難した人の話などを聞いた後、小屋へ戻る。
夕食は、鶏の唐揚げみたいなものに、ご飯など。おいしくて食が進む。高度の影響はあまりなしか。夫も元気になり、よく食べているので、もう安心だ。深夜1:00に起きて食事後、出発とガイドさんから言われすぐに横になる。私たちだけなので気楽なものだ。
2月12日(火) ピュンデ湖山小屋−ウィルヘルム山登頂−ピュンデ湖山小屋(泊)
何度か猛烈な雨の音で目が覚める。出発を遅らせ、カップヌードルを食べて、お弁当を持って3:00出発。雨はもうやんでいる。真っ暗な中をヘッドランプをつけて進む。足元はかなりぬかるんでいる。星が見え出す。かなり登ったなと思っていたが、少しずつ明るくなってきて、昨日見た湖が真下に見えるのに愕然。
ひょっとして、左に巻いただけか。だらだらとトラバス気味に進む。晴れていたかと思ったら、急にガスが出てきて先が見えなくなったりと天気が変わりやすい。
どこが頂上なのだろう。どうやら頂上はすぐ近くまで行かないと見えないらしい。岩がいっぱいの奇妙な景色のところに出る。ようやく頂上の旗が見える。
岩場になり、ストックを置いて、登る。旗が見える。やっと頂上。
お弁当を食べて下山開始。下りでは奇妙な景色はガスで見えない。もう登ってしまったので、下りはのんびり。岩の上で少し横になって休む。朝早く起きたから眠いのだ。
帰りは湖がきれいに見える。手前がアウンデ湖、向こうがピュンデ湖。
しかし、下りも本当に長い。湖が見えてからでも長い。いい加減いやになってきたところでようやく湖のほとりに出る。あと少しで小屋のほうへというところで、日本人大パーティと出会い立ち話をする。成田から同じ飛行機で来た人たちだ。年配の方が多いが元気そうだ。明日頂上へ向かうそうだ。
やっと小屋に着き、休憩。食事をする。やれやれ、登れてよかった。今晩は、ゆっくり眠ろう。
2月13日(水) ピュンデ湖−ベティーズロッジ(泊)
夜中に猛烈な雨音で何度か目が覚める。あの日本人パーティの人たちは出発しただろうか。うとうとしていると今度はまきを割る音で目が覚める。ガイドさんたちはこの薪で暖を取るのだ。あの斧はこのためかと納得する。朝食後、早めに下ろうとガイドさんに言う。今日はゴロカまで帰るのだから。雨でしっとりとした道を下る。
ベティーズロッジ到着。ここで昼ごはんを食べることになっている。ところがここで困ったことが起きた。ゴロカからこのロッジの間で何箇所か土砂崩れがあり、迎えの車がこられないのだ。やはり大雨だったのだ。ガイドさんたちは雨の中大急ぎで車の手配に出かける。ベティさんは、今日はたぶんダメだから、ここに泊ることになるよと言う。とりあえず、昼食を食べる。ベティさんは仕事で出かけてしまい、私たち3人だけになる。寒いので薪ストーブを燃やし、周りを囲む。
これが思いがけず貴重な時間になった。実は三男は、四月から大学を休学して自転車旅行に出かける予定だ。いろいろ話したいことがあったが、なかなかまとまった時間が取れないでいた。行程表を見ながら、チェックを入れていく。私は賛成ではなかったが、仕方がないかなと納得し始める。
なかなか誰も帰ってこず、結局ベティーズロッジに泊ることになる。私たちだけだし、食事はおいしいし、じたばたしても仕方がないのでのんびりする。最悪、帰りの飛行機には乗れるだろうとあまり心配していなかった。
この日の夕食。ますがおいしい。
2月14日(木) ベティーズロッジ−クンディアワ−ゴロカ(泊)
朝日が昇る。
朝、6:00ごろ、迎えの車が来たとベティさんに起こされる。ガイドさんたちが苦労して近くで車を持っている人を探してくれたのだ。彼は元教師。途中の村の人だ。大急ぎで食事をし出発の準備をする。車の周りにたくさん人が集まってきて大撮影大会。あの日本人大パーティはどうするのだろう。17人ぐらいいるんじゃなかったかな。車はあるのかな。とにかく車に乗り込んで出発。ぬかるんだ道を走る。
途中で会った村人たち。
今日は快晴。大勢の人が集まっている場所に到着。ここが1つ目の土砂崩れ現場だ。車から降り歩いて渡る。
ここでまたガイドさんたちは別の車の交渉をする。その間のんびり休憩。何とかなるだろう。子供たちがいっぱい。カメラを向けるとみんなよってくる。うれしそうだ。
斜面の畑。
畑から下を見る。
口が赤いのはビンロウジュの実をかんでいるため。手に持っているのがビンロウジュセット一式
ようやく、車に乗せてくれる人が見つかり出発。彼はマウントハーゲンから来たそうだ。もう1つの土砂崩れはゴロカとクンディアワの間なので、クンディアワの先のマウントハーゲンからは車で来ることが可能なのだ。
ようやく行きに昼食を食べたクンディアワに到着。同じホテルで昼食。今度はミニバスに乗る。広場で呼び込みをやっている。何とこれは乗り合いバスだった。途中で若い女学生が乗ってくる。恥ずかしそうにしている。行きも同じ道だったはずだが、今日は前向きなのでゆっくり景色を眺める。たくさんの車が止まっている場所に到着。食べ物を売る屋台まで出ている。
どうやらここが土砂崩れ現場らしい。降りようとすると、たくさんの人が寄ってきて、私たちの荷物の取り合いだ。ポーターをしたいらしい。すごい土砂崩れ。でも人の被害はなかったらしい。歩いて渡る。
向こうに、旅行社のMさんが待っていてくれた。ルートを変えて何度も車を送ったのだが、どの道も閉鎖されてどうしようもなかったらしい。ずいぶん心配してくださったらしいが私たちが平気な顔をしていたので安心したようだ。
みんなで記念写真。
彼女の運転でゴロカまで帰る。
ゴロカのホテル到着。ホテルの部屋の前は大通り。スーパーマーケットが見える。
大急ぎでお土産の手編みかばんを1つ買う。特産のコーヒーも買い込む。
夕食はホテルで。ビールで乾杯。
2月15日(金) ゴロカ10:45発−11:55ポートモレスビー着−ロロアタ島(泊)
同じホテルにコーヒーの店と旅行会社のオフィスがあるので、もう一度、コーヒーを買い足し、ガイドさんについていってもらって、手製のかばんを買う。
ポートモレスビー行きの飛行機に乗れなくては困るので、旅行会社のMさんと早めに飛行場まで行って手続き。彼女はパプアの男性と日本で知り合い、結婚するためにここに来たそうだ。かわいいお嬢さんもいて、しっかりと仕事をしている。いつも思うことだが、環境の違う海外で日本人女性は本当にたくましく生きている人が多い。感心する。
約1時間のフライトでポートモレスビーに戻る。現地の係員さんが迎えに出てくれて、車で船着場まで行く。お客は私たちだけ。船で15分、ロロアタ島に到着。
さっそく、お昼ご飯を食べに行く。なんとウィルヘルム山で見かけた日本人パーティの人たちに遭遇。みなさん元気そうで、たくましさに脱帽。
午後2時から、息子と近くのライオン島に泳ぎに行く。夫は部屋で休憩。島の手前にたくさんの珊瑚礁。夢中でシュノーケリング。やや透明度は劣るが楽しい。日本人パーティの人も到着。帰りは同じ船で。
夕食は子供たちのシンシンを見ながら。偶然お隣になった富士宮の女性やKさんと山の話が弾む。ビールも食事も進む、進む。
2月16日(土) ロロアタ島−ポートモレスビー(パプアニューギニア航空)−成田19:55着
午前中、今度は夫とライオン島に行って泳ぐ。日本は真冬。ありがたい。昼食はお弁当にしてもらって、船でポートモレスビーへ。空港へ直行する。空港でお土産の缶ビールを買い日本へ。行きとほぼ同じメンバー+でのんびり帰る。成田到着19:55.今日は成田空港近くのホテルで宿泊。明日羽田経由で伊丹へ帰る。
2月17日(日)
ホテルから成田空港へ、空港からリムジンバスで羽田経由伊丹、自宅に帰る。日本は寒い。
登山を終えて
1.今回は成田週1回土曜発のパプアニュギニア航空のスケジュールにあわせて、8日間の日程にしPNGジャパンに手配を依頼した。山旅ツアーやインターネットの情報も利用して内容を考えた。私たちはパプア到着日に一気にケグルスグルまで行き、登山後ケマセ村に1日ツアーに行き、最後は海にもということでロロアタ島泊の行程を計画した。たいていの日本のツアーはホテルに1泊して2日目にケグルスグルに行くため、行程が重なるのを避ける意味もあった。今回はこれが成功し、ケグルスグルのロッジは私たちの貸しきり状態だったし、登山中も誰にも会わず静かな登山になった。雨の影響で1日ロッジに停滞して、登山後ケマセ村に行くツアーは行けなかったが、メインの登山は終了していたので、遅れても気持ちに余裕があった。インフラが整備されていない場所では、きちきちの計画にしなくてよかった。特にニューギニア航空は週1便なので、その飛行機に乗れなかったら大変だった。
2.無事帰ってしまえばアクシデントはむしろなかなか経験できないよい思い出になる。前回のキリマンジャロでのトラブルも話のネタにしている。今回も現地旅行会社のMさんは大変心配されていたそうだが、私たちは呑気なものであった。むしろ家族にとって貴重な時間を得たといえる。1.にも書いたように日程に少し余裕があったことも気持ちに余裕を与えてくれた。
3.ツアーではなく個人で手配しているのは、結果的にツアーと同じような日程になったとしても、団体行動をとらなくてもよく、自由度が高いせいである。アクシデントが起ったときも自分で決定できる。ただし、家の延長になってしまうという欠点もある。今回、ロロアタ島で他の登山者の方といろいろお話ができたのは収穫だった。
パプアニューギニアはどんな国?
今回、ガイドブックとして使用したのはこの本。
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今回、偶然持って行ったのがイザベラ・バード「日本奥地紀行」明治11年に日本を旅行したイギリス女性の紀行文である。
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飛行機の中から見ても、車で通っていても、パプアの人が住んでいる近くの山は木を切って薪にし、山だったところは、そのまま畑になっている。そのため雨が降ると急傾斜の山肌を水が流れ、あちこちで土砂崩れが起る。ファーストコンタクト、西欧人に出会った時には既に山の木は薪としてかなり燃やされ、禿山状態だったという。現在は野菜が整然と栽培されている。貴重な現金収入として山はどんどん畑になっていきそうである。高原では日中はかなり寒いので、家の中で火は欠かせない。木はこれからも薪として燃やされそうである。
田舎に住んでいれば、お金がなくても食べていけるが、車や工業製品は買えない。街に出ても仕事がそんなにあるわけではないので、ポートモレスビーは地方から来た人たちが集まってスラム化した場所があり、治安も悪いとのこと。カメラを向けると大人も子供も人懐こい笑顔をしてたくさんの人が寄ってくる田舎、それでも物質的な生活は貧しく現金収入を求めて都会に出て行くが仕事がない。お金がなければ都会では生活していけない。
カメラを向ければ嫌がって逃げたり、お金を要求したりするのではなく、陽気に笑ってよってくる。調子の悪かった夫が登頂した後で、元気になって本当によかったと親身に言ってくれたガイドさん。落ちているごみを拾っているガイドさん。顔はいかつくて怖そうだけど、大事なことは忘れていないような気がする。
もし自分がこの国に生まれていればどうだっただろうか、何をしていただろうか、そんなことをついつい考えてしまった。