イラン・ダマバンド山登山(2009年8月5日〜17日)

イラン・ダマバンド山(5671m)

日程(予定) ○は予定変更

 8月5日(水) 関空23:15発→
 8月6日(木) →04:45ドバイ07:45−10:25テヘラン着 ラーレインターナショナルH(泊)
 8月7日(金) テヘラン−ゴスファンドサーラ(2900m) (泊)
 8月8日(土) ゴスファンドサーラ(2900m)−バルガ(4000m) 小屋(泊)
 8月9日(日) バルガ(4000m)滞在    小屋(泊)
○8月10日(月)バルガ(4000m)−ダマバンド登頂(5671m)−バルガ(4000m) (泊)
○8月11日(火)バルガ(4000m)−ゴスファンドサーラ(2900m)−テヘラン19:30発−シラーズ
       20:45着 パールスインタナショナルH(泊)
 8月12日(水)シラーズ−ヤズド モシーロルママーレクH(泊)
 8月13日(木)ヤズド−イスファファン アッバシーH(泊)
 8月14日(金)イスファファン滞在   アッバシーH(泊)
 8月15日(土)イスファファン−コム−テヘラン ラーレインターナショナルH(泊)
 8月16日(日)テヘラン自由行動−テヘラン22:45発→
 8月17日(月)00:15ドバイ03:10−関空17:20着

出発まで

 2007年夏から1年に1回を目標に夫婦で個人手配の海外登山を始めました。新しいものから順にまとめていきます。今回は2009年8月のイラン・ダマバンド山。
 なぜ、イランの山へ?本当はロシアのエルブルースに挑戦するつもりでした。でも個人手配では、費用が高すぎるのとビザが面倒そうで、急遽お隣のイランへ変更。こちらのほうが技術的にも難しくなく、観光もおもしろそうということも理由のひとつです。ところが折からの大統領選挙後の混乱、マスコミの報道で、本当に行けるのか、ずっとヒヤヒヤしていました。行けると信じてトレーニングだけは続けていました。5月から可能な週末は富士山へ、合計6回(うち1回撤退)、その他の週末は近くの六甲山、直前には低酸素室にも3回通いました。今回は現地手配もビザも旅行会社に任せたので準備は楽だったのですが、気分は何とか出発できたなという感じです。

8月5日(水) 日本−ドバイ−テヘラン

 関空エミレーツ航空、ドバイ経由テヘラン行き。実はドバイにはいやな思い出がある。2007年夏、手始めのキリマンジャロ登山もドバイ経由だった。乗り継ぎのナイロビ行きがキャンセルされ、やむなくドバイで1泊、翌日の飛行機に乗れるかどうかもあやしく、大荷物を持った人波を掻き分けながら座席を確保というありさま。その上、荷物がなくなり(結局出てこなかった)何とか登ったものの、登山後のサファリは2枚の服を洗いながらだった。
 今回は、エミレーツ同士の乗り継ぎということもあり、全く問題なく乗り継げた。あの時、床に寝ていたたくさんの人は一体どこへ行ったのだろうか?ドバイショックで出稼ぎの人たちも減っていると聞くけれど。
 ドバイからテヘラン行きの機内はお酒は出ない。イランに入国したら観光客もお酒は飲めない。女性は頭にスカーフを被り、腰を隠すコートを着なければいけない。私も薄手の長袖ジャケットを着てスカーフを被った。イランはどんな国?期待と不安が交錯する!

8月6日(木) テヘラン滞在

 午前テヘラン着、日本語ガイドのマンスーりさん(50代か)の出迎えで、専用車でテヘラン市内へ。空港から街までは非常に乾いた印象。車が非常に多く、また運転が非常に荒く(車間距離がないに等しい)すぐに、車同士の接触事故を見る。これが珍しくないことは後で判明。しかし、デモ隊などはどこにも見られず、のんびりした印象で拍子抜けした。日差しはきつく暑いけれど、乾燥しているので汗はかかない。簡単な観光、鶏のケバブの昼食後、ホテル(ラーレ国際ホテル)にチェックイン。登山ガイドのホセイン(30代前半)と簡単な打合せ。その後ホテル近くの絨毯屋で絨毯をチェック。記念に絶対買って帰ろうと思っているのだが、予想以上の高さにすぐには手が出ない。就寝は22時、出発から約30時間、やはり疲れたなあ。
テヘラン大学の近くの通りで

8月7日(金) テヘラン−ゴスファンドサーラ(2910m)

 6時に目が覚めたので、朝食前に隣の公園を散歩することにした。金曜日はイスラムの休日。まだ6時台というのに、音楽にあわせて踊る人、バトミントンなど運動をする人たちでたいへんにぎやか。心配していた治安も今のところ問題なさそうだ。韓国ドラマの音楽も聞こえてくる。イランでも韓国ドラマは大変な人気だそうだ。11時前に登山ガイド兼ドライバーのホセインさんとガイドのマンスーリさん、私たちの4人でホテルを出発し、テヘラン郊外へ。いよいよダマバンド山麓へ出発。木が全く生えていない山が続く。
昼食の鶏のグリル、ざくろソース添え。とてもおいしい。

非常に乾いて埃っぽい道を登山基地のゴスファンドサーラ(2910m)へ向かう。14:40着。
私たちの泊った部屋がある建物

 大勢のイラン人登山者がいる。富士山と同じで、夏には一般のイラン人がダマバンド登山をするそうだ。今年は8月中旬からラマダンなので、その前にということで特に人が多いとのこと。みんな興味津々のようで「どこから来た?」と聞かれ、一緒に写真を撮ろうと誘われる。トイレは外でイスラム式。夜は真っ暗なのでライト必携でトイレへ行く。高度順化のため3340mまで登って、小屋まで戻る。いい天気で、風も弱く体調も問題なし。登るときスカーフはどうしようかと迷うが、取り合えず帽子だけを被って登った。持参のシュラフにもぐって、21時半就寝。

8月8日(土) ゴスファンドサーラ(2910m)−バルガ(4020m)

 8:00起床、天候晴れ。ナン、紅茶の食事の後、9:50出発。今日は、標高差約1100mを登る。途中チェコの学生2人と一諸になる。大学院生で夏休みを利用してイランを旅行中だそうだ。天気もよく歩きやすい道を登る。私たちの荷物はミューラが運ぶが、彼らは大きな荷物を背負っている。それでも速度は速い。
荷物を運ぶミューラ

少しだけ残っている赤いケシ

2回休憩し、14:00にバルガの小屋に到着。手前のテント場は色とりどりのテントで一杯。2階の個室に入る。かなり埃っぽく、あまり掃除が行き届いていないが、乾燥しているので何とか我慢できそうだ。トイレは外で階段を下りてまた登ったところにあって、遠い上、イラン式で暗く、トイレに行くたびに階段の上り下りをするのはきつい。小屋の後ろに、雪解け水をパイプで引いている水場があって、それが又冷たい。夕食は20:00にヌードルのみ。やっとのことで食べる。感覚的には夕食は遅め。お湯を飲みたいので何度も言うがなかなかでてこない。早くしてくれよって感じ。小屋の中は、チェコの青年のほかドイツ人パーティ(40代ぐらいの夫婦に78歳の老人、アララット山を登って来た。アララットは雪が降り−25℃になるほど寒かったそうだ。すでにチンボラソ、コトパクシ、エルブルースなどに登っており強そうなグループ)、元気なイラン人の女性のパーティなど賑やか。外国人の小グループが泊っているようで、みんな英語で情報収集と親睦に努めている。しかし疲れていたので食事後、早々に横になる。夫はやはり体調がよくなさそう。明日登るチェコの青年に眼鏡につけるサングラスを貸す。
外国人登山者 小屋の中で

8月9日(日) バルガ滞在(高度順応日)4020m−4700m−4020m

 8:00起床。夫、昨日午後より体調悪く(寒気、下痢)、薬を飲み休養。今日は高度順応日。他の人は、みんな今日頂上まで登る。朝食のナンがなかなかのどを通らず、りんごが救い。10:30 私だけガイドと一緒に高度順化に出発。1時間歩いて4600mに到着。最初はきつかったが、ゆっくり歩いていると慣れてきた。4700mあたりで引き返す。天気よく風も感じない。これなら登れそうだと思う。12:30、小屋に到着。長袖シャツ(ポリエステル)に襟付きシャツを重ね着、雨具の上だけを着る。帽子は風が強いのでウール。手袋はブレスサーモ1枚。これで寒くなかった。沢筋には雪が残っているが登山道に雪なし。ただ、岩と砂の多い道なので歩きにくい。富士山にそっくりです。帰着後遅めの昼食。14時40分過ぎ登頂後下りてきたチェコの青年に会う。頂上付近は強風でふらふらだったそうだ。硫黄ガスもすごかったらしい。ドイツ人パーティには会わず。部屋で休む。夕方ドイツ人の女性に会う。風が強くてきつかったそうだ。夕食は20時とのこと。なかなか出てこない。ガイドのホセインはポーランド人の取材に答えるのに忙しいようだ。催促して8時半ごろやっとスープとナン。スープのみ飲む。大丈夫だろうか。明日の服装を尋ねると、冬用の上下を着たほうがよいとのこと。準備する。

8月10日(月) バルガ(4020m)−ダマバンド山頂上(5671m)−レイネ(2040m)

 快晴。夫、調子悪く登頂断念。6時に食事だが、ナン食べられず、りんごとオレンジを食べ、6時45分出発。ゆっくり登りたいのだが、ガイドのホセインの足取りは先へ先へと進む。付いて行くのに精一杯。昨日昇ったところをとっくに過ぎたところで1回目の休憩。8時20分ごろ。ジュースとチョコを食べる。寒いので1枚ウールのシャツを中に着る。手袋もウールとオーバー手袋の2枚重ねに変更。昨日は寒くなかったのにえらい違いだ。出発したときに、かなり先を登っていたグループがずいぶん近づいている。すぐに出発し、どんどん進み前のグループに追いつく。大勢のイラン人のグループのようだ。こんな格好で大丈夫なのというほどの薄着。私が追いつけるのも当たり前かと思う。5000mあたりから風が非常にきつい。まだ寒いのでフリースをもう一枚中に着る。誰かの後ろについて風除けにしたいのに、ホセインすぐ道を変えたり、追い抜かしたりして、また誰もいなくなる。下からずっと見えていた凍っている滝も過ぎる。天気がよく頂上がよく見えるのが救い。ジグザグの道をゆっくり登っていく。途中にひっくり返っている男性がいる。あと少しのところで下山してくるグループ数人が見える。12時45分とうとう頂上。
ダマバンド山(5671m)頂上 ガイドのホセインと

 風が強く写真を撮るのがやっと。羊のミイラみたいなのが飾ってある。5分ぐらい頂上にいたかどうか、すぐに下山開始。どんどん降りていく。途中で道を変え、登りとは沢を挟んで東側のルートを下りる。ホセイン早過ぎ。登頂してほっとしたことと、高度が下がったことからか急に空腹感を覚える。ドイツ人のパーティのところで休んでいるホセインに、「I`m hungry!」と怒鳴る。ホセインがチョコ、ドイツ人パーティのガイドがアーモンドなどをくれる。このあたりは風もそんなに強くない。ドイツ人パーティも追い越し、登りのルートをトラバスして今度は西側のルートを下山。富士山の砂走りによく似た深い砂とガラガラの岩の道をまた大急ぎで下る。ホセインが先に行って、私が後を追いかけるという状態。写真を撮る余裕もなく何度か転ぶ。ようやく、15時10分バルガ小屋着。
上から見た小屋、左がトイレ

 小屋で「今日中にゴスファンドサーラまで降りてはどうか」とホセインに言われる。降りたほうが夫の状態がよくなるはずだとのこと。相談して下山を決める。荷物をまとめ17時過ぎから下山開始。ホセインがミューラに荷物を載せ引いて降りることになる。テント場では頂上はどうだったかと何人かに聞かれる。途中2回休憩しながらゆっくりゆっくり下山。まだ明るいし、空気が濃くなっていくのがわかる。19時30分ようやくゴスファンドサーラの小屋着。日本語ガイドのマンスーリさんが出迎えてくれ、ほっとする。降りてくる人から情報を収集して、私が登ったことはわかっていたそうだ。小屋の中がずいぶんきれいになっている。マンスーリさんが暇に任せて掃除したらしい。韓国、釜山の歯医者さんとそのスタッフの女性のグループが部屋にいて挨拶する。歯医者さんは日本語が話せていろいろ話をする。彼らがくれた韓国のりのおいしかったこと、生き返る思い。そのまま小屋泊りかと思ったら、レイネのロッジまで降りるとのこと。真っ暗な中車に乗り込み、ミューラ引きのおじさん(彼はレイネのロッジの経営者の息子、経営者のお父さんはダマバンド初のガイド)が最後に乗って出発。21時過ぎレイネのロッジ着。きれいな部屋だ。シャワーを浴び、夕食を食べゆっくり寝る。23時。長い一日だったが、登れてよかった。